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「美」とは美術館に行って見るものではない。 こういうところに転がっているのだ。 |
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上下 Joge |
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上下(じょうげ)とはこの地に分水嶺があり、降った雨が日本海と瀬戸内海の上下に分かれて注いでいくことから名付けられたと言われている。江戸時代は石見銀山(島根県大田市)と尾道とを結ぶ銀山街道の要衝として、また周辺村落をまとめる経済的中心地として繁栄した。 そうは言っても、山奥の小都市であることは今も昔も同じで、周辺に大都市がないため、石見銀山が縮小する近代以降に大きな開発圧力を受ける機会は、鉄道・国道建設を除けば無かったのではないかと思う。 |
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#1:上下のメインストリート。平行して国道が走るため通過交通が流入しにくく、徒歩での散策がしやすい。教会の塔は地域のシンボルだ。 |
上下にはいわゆる名建築は少ない。江戸〜明治の町家建築と大正〜昭和のB級建築が主体なのだが、建築は時間を経ていればそれだけで地霊が育ち価値を持ってくるわけで、名も無き建築家達が建てた愛すべきB級建築たちが織りなす景は、絶妙なバランスを保っており、テーマパーク化された”歴史的町並み”とは違う魅力を放っている。 ■上下教会 (写真#1, 2) 明治時代の豪商角倉家の蔵として建てられ、後に教会に転用されたもの。あの塔は造形的にかなり無理があるけど、後から付けたのだろうか…? |
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■上下歴史文化資料館/旧岡田邸(写真#4) 地元の要望で解体を免れた町家のリノベーション。きちんとファサード保存をやりぬいている。 |
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#7:川沿いの景。右端が旧田辺邸。こちら側の建物は昭和初期の建築か。 製品運搬用?の橋が伸びているのが見える。 |
■旧田辺邸 (写真#7〜#10) 江戸時代の町家。明治時代に入ってから造り酒屋としても利用された。屋敷は表通りから川に向かって増築され、さらに川を専用の橋で渡った対岸に酒造工場があったようだ。橋に付いているレールは製品運搬用と推測する。(写真#8) 広い屋敷は、ごく一部がカフェとして利用されているだけで、大部分が手つかずのまま放置されている。おそらくこれを全て修繕するには億単位の資金が必要で、個人レベルで保存していくのはなかなか難しいと思う。 |
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#11:復元工事をしてやれば県内随一の”歴史系ヴィスタ”が出現するに違いない。正面のアイストップは「翁座」。 |
■翁橋から翁座にかけてのヴィスタ (写真#11) アイストップになっているのが、大正時代からの芝居小屋「翁座」だ。戦前の木造芝居小屋として県内に唯一現存するものとされる。 一見すると普通の家々だが、建築年代自体は古く、”うだつ”を備えた町家もある。打ち付けられたトタン板を外し、アルミサッシを木サッシに変更すれば、隠されていた町家本来のファサードが姿を現すに違いない。 |
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■十黒堂辻広場 (写真#12〜#14) 元々この地に何があったのかは調べていないが、この種の公衆トイレの中では良作と言っていい。通り側にボリュームを置いているので、観光客がいなくても佇まいを維持できる。 ■「美」とはこういうところに転がっている しっとりとした町並みの中にタイル張りのRCとか、ハウスメーカー製のプレハブ住宅があると興ざめだが、ここでは比較的少ない。特に公共建築では「古き良き、小さな町の小さな○○」、すなわち基本的にヒューマンスケールで少しだけ装飾をしてある建物が数多くある。(写真#18〜22) 今もしこれらを建て替えてしまうと、くだらない設計を安価でするだけの三流業者やカッコつけすぎの建築家風情らの手によって見るも無惨なことになる可能性が高いが、まだそうはなっていない。幸いにも「上下歴史文化資料館」や「十黒堂辻広場」など、デザインコードを良く読みとった良作も出てきている。 かくして上下の町には確かに「美」が宿っている。美とは美術館に行って見るものではない。こういうところに転がっているのだ。 逆に妻籠や今井のような伝建は綺麗だけど時代隔絶が大きすぎて実感がわかないが、上下では経済成長で突き進んできた日本が失ったものは何だったのかをよく理解することができる。 |
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この地域に大きな産業(例えば西条における酒造業)がない以上、地域浮揚に最も貢献しうるのが町並みであることは多くの人が認めるところだ。 上下町(当時)は町並みのために「まちづくり景観条例」を制定し、強制力を伴わない”お願い条例”の範囲中でできる限りのことをしている(1)。町並み保全・形成に強制力を与える具体的手法としては「伝建地区」「景観地区」「地区計画」「建築協定」「景観協定」などが考えられ、いずれにせよ地域住民の合意の元で進めなくてはならない。 だからかどうかは分からないが、上下では多くの店で共通デザインの暖簾(のれん)が使われている。共通暖簾は景観を大きく改善することが可能(2)で、地域の一体感、意識の共有にも寄与でき、しかも安価であるためよく使われる手法である。(写真#15) ただし、修景工事を施せば即観光地になり地域浮揚になるかというと、そんなに甘いものではない。他の地域では、強引に客寄せのための特産品を作り出して成功した例や、あえて昭和30年代の町並みだけで勝負している例もあるが、それだけの知恵と資源を注ぎ込めるのは希なケースで、基本的には地元のための修景を地道にやっていく姿勢で良いのではないかと思う。観光地になると別の圧力が発生して現在のバランスが崩れるのも間違いないわけだし。 |
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[補注] (1) 2004年4月に上下町は府中市に吸収合併されたため、条例が現在どうなっているのかは未確認。 (2) たとえ建築自体が貧相であっても、人間の目線の部分、手に触れる部分を上手に化粧してやることで、空間に密度を与え印象をガラリと変えることができる。例えば看板・暖簾・軒先の縁台・フラワーポッドなど。 (参考:サンストリート亀戸) [参考文献・サイト] 1) 西村幸夫ほか「別冊太陽 日本の町並みII」 平凡社 2) 上下町(2000)「上下町景観づくりの手引き」 [行き方ガイド]
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