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日本三大醸造地の一つ。 その風景には現役であるが故の美しさがある。 |
・理由1:合併で誕生したが故の多核構造 ・理由2:隣接するメガシティ(広島市)の圧倒的な求心力(=生活必需品以外の買い物は広島で済ませてしまう) ・理由3:急速な発展に基盤整備が追いつかない …といったところだろうか。 さて、この西条は灘・伏見と並ぶ日本三大醸造地の一つに数えられる"酒造りのまち"として知られている。醸造所はJR西条駅から東側のエリアに集中しており、徒歩で容易に見て回ることができる。
■賀茂鶴酒造(photo#2, 3, 4) 西条での酒造りは江戸初期に始まったとされているが、同時に山陽道屈指の宿場町「四日市宿」としても繁栄した(3)。宿場では一般的に大名等が宿泊する「本陣」を地元の名家に任せるが、西条の場合は広島藩直営の本陣(4)が置かれており、賀茂鶴酒造の敷地内にその正門が残されている。 醸造所は酒蔵・事務所・煙突がセットになってコンパクトにまとまっている。煉瓦造の煙突に取り付けられた文字看板がいい感じ。 建築群は大正期〜高度成長期あたりが混在しているように思えるが、デザイン規範がしっかりしているので違和感が少ない。逆に言うと、見ただけでは建築年代を推測しにくい。 ■賀茂泉酒造(photo#7, 8) 敷地内に建つ「酒泉館」は旧県立醸造支場(1929年)を改装したもので、直売のほか、お酒喫茶も営業中だ(5)。 全体を通じて強く印象に残ったのは、伝建でもないのによくデザイン規範が守られているという点だ。江戸時代の建物がごっそり残っているわけではないのに低層+白壁+石州瓦を合わせていくことで、建物を更新しつつも特徴ある景観、すなわち観光客に過度に媚びていない現役醸造所としての景が守られている。こうなった経緯等については不勉強なので今後調べてみようと思う。 さらに酒蔵ゾーンにとって幸運なのは、迂回道路が一応整備されていることだ(6)。これなら現在抜け道的に使われている地区内道路の一方通行化や歩行者天国化も、地元合意さえあれば不可能ではないだろう(7)。 一方で懸念されるのが、西条の急速な人口増に起因する高層化圧力だ。背の高いマンションが建っているのは駅前の大通り(photo#13)だけで、酒蔵エリアからはまだ距離があるものの、今後も安泰という保障はない。 私は大通りと酒蔵エリアとの間のバッファーをどう誘導するかが勝負だと見ている。現状を見てみると、中層+白壁+石州瓦でRCなんて事例もある(photo#12)。だが、少なくとも道路沿いは低層で軒線を合わせていかないと奇妙さが残ってしまう。 本気でやる場合は景観地区を使って「低層+白壁+石州瓦」以外の建物を原則許可しないことだって可能だが、伝建でもない街並みを守ることは自治体にとって一歩先に進んだ(先走ったとも言える)判断ということになり、かなり難しいだろうと思う。 |
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西条 Saijo |
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#1:酒蔵通り(賀茂泉酒造周辺)の街並み。赤い瓦は石州瓦(2)で、広島の農村部では今でもこの瓦を使うことが多い。 |
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[補注] (1) 例えばエルピーダメモリの東広島進出は世界的なニュースとして記憶に新しい。 (2) 石見国(島根県)で生産される瓦。参考サイト 2) などを参照のこと。 (3) 四日市という地名はどうやら残っていないようだ。 (4) 正確に言うと、四日市宿の場合は「本陣」ではなく「茶屋」と呼ばれていた。 (5) 酒泉館は平日は閉館の可能性があるので、事前に確認した方が良い。 (6) むしろ道路建設などの理由で多くの町家が取り壊され、運良く残ったのが酒蔵エリアだと言うべきかもしれない。 (7) 西条と対極にあるのが鞆で、地形の制約から域内道路に通過交通を入れざるを得ない苦しいケースと言える。 [参考文献・サイト] 1) 東広島市観光協会ウェブサイト …東広島全体の観光について 2) 石州瓦工業組合ウェブサイト 3) 酒まつりウェブサイト …酒まつりを始めとした、西条のまちづくり状況を知ることができる。 [行き方ガイド]
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