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長野宇平治が最後に手がけたのは超マニアックな「プレ・ヘレニズム」建築。
大倉山は世界唯一のプレ・ヘレニズム集積地?
DATA
■設計:長野 宇平治
 
(ながのうへいじ)
■所在地:神奈川県横浜市港北区大倉山2-10-1
■用途:集会所・ホール
■竣工:1932年(昭和7年)
■延床面積:
■構造:SRC造2階(地階・塔屋あり)
付近の地図(mapion)
ファサードを見ると、ちょっとアンバランスではあるが左右対称だし、様式建築(2)らしく列柱もあるし、それほど奇怪な感じはしない。
でも列柱をよ〜〜く見ると、
下が細くなってることに気付くと思う(photo#2)。これがプレ・ヘレニズム様式の証だ。プレ・ヘレニズムとは、ギリシャ文明が栄えるより前にエーゲ海で栄えたクレタ文明(ミノア文明)に由来する様式で、おそらく世界的に見ても類例は無い。よくもまぁそんなマニアックな様式を引っ張ってきたものだ。

中に入ると、すぐに階段があり(photo#3,#4)、突き当たりにホールがある。階段の真上を見上げると、ライオンと鷲がこちらを睨んでいる(photo#5,#6)。この空間について、現地の案内板から引用すると…

内部の殿堂は、この建物の中心的役割を持つ講堂で、その意匠はクノッソス宮殿(作者註:BC2000年ごろ)の円柱の様式を使いながら、柱の上部に日本建築の斗拱(makoto註:「ときょう」と読む)を思わせる組物を用いた和洋折衷とも言える独特な空間構成を示しています。
(現地にあった案内板より引用)

…確かに塔屋(photo#2)の外回りはギリシャ神殿風だけど、JR奈良駅のようなコンクリート和様建築の要素も入り込んでいる。そういえばファサードのペディメントには鳳凰がいた(photo#7)。

そのまま階段を上ってホールに入る。内部は外観とは全く違い、どことなく日本的な意匠が取り入れられた木の空間になっている(photo#8)。

この建築の施主は、日本橋で紙問屋を営んでいた大倉邦彦氏(1882-1971)。施設の目的は東西の精神文化の研究なのだが、実はこの建物が全てではない。敷地全体が世界地図の形になるよう設計されていて、丘全体を精神文化をテーマにした一つの小宇宙とすることが施主の意図であったという。

今の場所に良い丘が見つかると、この丘は地球であるからそれにふさわしく丘の上の敷地を世界地図の形に造園して(このへんの発想がスゴイ)、その中心位置に深さ三十尺の穴を掘り、ここを地球の芯として(この徹底ぶりがたまらない)、そこに四尺四方の石棺を据え、その中に青銅の柱を立てた。
(藤森照信(1997)「建築探偵神出鬼没」朝日新聞社 より引用)

従って、西欧思想の源流たるギリシャ文明より更に遡ったプレ・ヘレニズムを建築意匠に採用する必然性があったのかもしれない。

設計者の長野は日本における様式建築(2)の第一人者として知られ、銀行建築を数多く手がけた。だが、当時の銀行建築には格式は必要でも個性を求められることは少なく、クリエイター魂を押し殺す必要があったと私は推測する。そんな長野が人生最後の作品を設計するにあたって、今まで蓄積してきたものを思い切ってぶつけようとしたのは想像に難くない。生涯を通じて西欧の様式建築を極めたことをアピールする意味でも、施主の要望に応える意味でも、西欧文明の源流たるギリシャより更に古い様式を使いたかったのだろう。

総合評価として、高密で隙のないデザインがなされていると感じた。建築ファンなら訪問して損はない。
またここでは「大倉山水曜コンサート」と題して、毎週水曜日に料金を抑えた室内楽のコンサートが開かれているので、建築鑑賞がてら出かけてみてはどうだろうか。




さて、大倉山記念館に関連して見ておきたいのが駅前の商店街だ。1980年代、停滞に悩む商店街が近代化事業(3)を実施する際、建築のデザインコントロールを実施することになり、大倉山記念館のデザインを参照することとなった。というわけで、写真にあるように多くの建物にドリス式の柱が強引に取り付けられている。建築ファン的には隈研吾の「ドーリック」(1991年)が思い出されるが、ここまで強引だと見る方は苦笑するしかない。せっかくだからもう少し考えて設計すればいいのに…。

どのケースでもギリシャ以降のパターンを取り入れているのだが、プレ・ヘレニズムとは「逆ギリシャ」なわけで、柱は下に行くほど細くなっていなくては意味がない。
…と思っていたら、プレ・ヘレニズムの柱もあった(photo#15)。まさかこんな異国の地でクレタ文明が継承されているとは彼の人々も想像しなかっただろう。


[補注]
(1) 1981年に横浜市が公園用地として当該地を(財)大倉精神文化研究所から買収する際に建物を寄付されたため、市が改修工事を施して1984年に「大倉山記念館」としてオープンさせた。
(2) すごく簡単に言うと、装飾を伴った西欧風の格式ある建築のこと。現代日本を埋め尽くしている、装飾のないトウフのような建築(モダニズム建築)が出現するまでは、様式建築こそが建築であった。
(3) 正確には「小売商業商店街近代化事業」。既存の商店街が大規模店に対抗するために、街路灯設置、アーケード設置、舗装、壁面後退、デザイン誘導などを行う。それなりに歴史のある制度。

[参考文献・サイト]
1) 藤森照信(1997)「建築探偵神出鬼没」朝日新聞社
2) 財団法人 大倉精神文化研究所 オフィシャルサイト
3) 大倉山商店街振興組合 オフィシャルサイト
4) 「大倉山商店街の現状と今後の課題」(東工大中井研究室勉強会資料より)

[行き方ガイド]
東急東横線「大倉山」駅から徒歩10分ほど。急な坂の上にあるので、足の弱い人には少し辛いかも。

[利用ガイド]
・入館無料
・駐車場なし
・休館日を事前にオフィシャルサイトで確認のこと。


作成 :2003/11/7
最終更新 :2009/3/1
作成者 : makoto/arch-hiroshima
 with Canon PowerShot G3
大倉山記念館 / 旧大倉精神文化研究所
Okurayama Memorial Hall
建築家長野宇平治(1867-1937)について、私は広島の旧日本銀行アンデルセン本店(旧三井銀行)を見慣れていたせいか、様式建築の名手らしく実に無難なデザインをする建築家だと思っていた。そんな固定観念をうち砕いたのが、この大倉山記念館(建設時の名称は「大倉精神文化研究所」(1))だ。

#1:ファサード(正面)

#3:正面から入ってすぐ階段を上っていく。正面は音楽ホール。吹き抜けにはライオンと鷲が交互に並んでいる。photo#4, photo#5, photo#6と同じ場所。(複数の写真を合成した)

 #2:塔屋。列柱の形が変!

 #4:階段を上から見る

 #5:階段上部の吹き抜け

#6:ライオンと鷲

#7:ペディメントの鳳凰

#8:キャパ80人の小さなホール

#9:エントランス周辺の作りつけベンチ。隙の無さを感じさせる。
〜ここから先は大倉山商店街の様子〜
#10:「さかえ会」改め「エルム通り」。ヨーロッパ風街並みで売り上げアップ?

#11

 #12

#13:コリント式とドリス式を一度に楽しめます。

 #14:様式建築と言えば列柱とペディメントでしょ。

#15:遠い異国の地でクレタ文明が継承されているのです。

 #16:のれんも意外に合ってる?

#17:アテネ市との姉妹提携の記念。

#18

#19:こういう角度で写真を撮ると騙されますね。

#20
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