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広島県 INDEX
戦災に耐えた歴史的建築物。
DATA
■設計:長野宇平治+日銀臨時建築部
■所在地:広島県広島市中区袋町5-16
■用途:展示室(2003年現在暫定利用中)
■竣工:1936年(昭和11年)8月
■延床面積:3214平米
■構造:RC造地上3階 地下1階
付近の地図(mapion)

■オフィシャルサイト
建築家 長野宇平治について

建築家長野宇平治は広島の地で三つの建物を設計している。まず前述の「日本銀行広島出張所(1905年・現存せず)」。ここでは辰野金吾の助手として図面を引いた。続いて「三井銀行広島支店(1925年・現広島アンデルセン)」。そして「日本銀行広島支店(1936年)」である。この建物が竣工したとき長野は69歳。最晩年の作品なのだ。
外観を見る限り、強烈な個性を放っているわけでもなく、実におとなしいという印象を受ける。だがこれを長野のデザイン能力に帰結させるのは早計であって、既にある銀行建築の枠を出るような冒険をさせてもらえなかったと考えるのが妥当であろう(1)


建築について

ファサードは「近世復興式(ルネサンス様式)」、配された4本の角柱はイオニア式だ(写真#1)。
入り口から入った正面、吹き抜けの上にはトップライト(天窓)がある(写真#2)。現在この窓はふさがれていて蛍光灯で光らせているが、窓の形は建設当時のままだ。建設当時は柱の上部や天井に装飾が施されていたが(写真#3)、それらは被爆時にほとんど焼失した。この吹き抜け空間には営業室と客溜が置かれ境界には窓口が設けられている。
地下の金庫室も見学できる。地下構造物も地上と同様、極めて強固に作られている。金庫室の厚い扉(写真#4)からは「HERRING-HALL-MARVIN SAFE CO. NEW YORK」という刻印が読みとれ、どうやらアメリカから運んできたようだ。普段は小さな扉(写真#5)を通して出し入れしていたという。


中途半端な活用状況

この建物は戦後も日銀支店として使われ続け、日銀支店が1992年に移転した後は利用されることなく建っている状態であった。日銀は当初売却を想定していたが、広島市は「広島平和記念都市建設法(3)」を根拠に譲与を求めた。2000年5月に日銀が出した結論は、「市指定重文に指定されれば無償貸与する。国重文に指定されれば無償譲与する。(根拠はいずれも広島平和記念都市建設法)」というものだった。市は直ちにこの建物を市指定重文に指定し、2000年7月には日銀と市との間に使用賃借契約が締結された。
ところが、この建物が国指定重文に指定されるメドは立たず、かくして所有権が市に移動しないがために、入場料の発生しない展覧会程度にしか使えない中途半端な状態が続いている。
その間、同じく長野宇平治が設計した松江の日銀は「カラコロ工房」として生まれ変わり、岡山の日銀も「ルネスホール」としてNPO運営(指定管理者制度を利用)の文化施設に再生した。明らかに広島は出遅れている。

行き詰まった状況に対してすぐ考えつく解決策は3つ。
(A) 市が時価で土地建物を買い取る。
(B) 日銀に方針を変えてもらう。
(C) 国に重文指定するようねじ込む。

(A) はもしできるなら平和記念都市建設法など持ち出さなくても済んだわけで、困難か。(B) については、既に日銀はトップ決定を下しているので、覆すには高度な政治的判断が必要。(C) については、うまくやれば可能かもしれない(原爆ドームを世界遺産に推薦させた時と同じ要領か?)

もし譲与がなれば、最低限のバリアフリー化工事だけ市が負担して民間運営の文化・商業・インキュベーション施設として再生させ、都心活性化の目玉にするのが理想的だし、この立地ならそれは可能だと思う。

日本銀行旧広島支店
Old Branch Office of Nippon Ginko
市の中心部に建つ銀行建築。日本銀行は1905年(明治38年)に広島出張所を設置、1911年に支店に昇格、1936年(昭和11年)には業務拡大に伴い現在の建物を新築し移転した。
辰野金吾が手がけた本店ほどの派手さはないものの、銀行建築に求められる要素はきっちり織り込まれている。他の支店と同様、非常に堅牢につくられていたため、爆心地からわずか380mという近さにありながら建築当時の外観をとどめている。被爆建築の中では抜群に保存状態が良い。

#1:ファサード。

#2:無償貸与という現況では、仮設のスロープをつけるのが精一杯。

 #3:建築当時の内部空間(2)。コリント式柱頭の装飾が見える。

#4:営業室のトップライト

#5:地下金庫エリア

#6:普段はこの小さな扉を使って金庫室にアクセスしていた。

#7:食堂横の調理室

#8

#9
[補注]
(1) 長野が晩年に設計した「大倉精神文化研究所(現大倉山記念館)」は、一貫して様式建築に取り組んできた彼が出した一つの答えであり、問題作と言っていいくらいの大冒険を見せている。
(2) 建物内に設置された案内パネルを撮影したもの。
(3) 戦災復興時の極端な資金難に苦しんだ広島市のための法律。目的は旧陸軍用地などの国有地を復興に活用することにあった。平和事業関連で国などの"協力"を得たい時、その根拠として今でも使われる。今回これを使ったということは、リノベ後の施設も「平和記念都市として相応しい文化施設」にせざるを得なくなる…かもしれない。

[参考文献・サイト]
1) 日本建築学会(1998)「総覧 日本の建築 第8巻」新建築社 pp174
2) 旧日本銀行広島支店オフィシャルサイト
3) 広島市+被爆建造物調査研究会(1996)「ヒロシマの被爆建造物は語る」広島平和記念資料館
4) 広島市企画総務局企画調整課(2001)「旧日本銀行広島支店について」

[見学ガイド]
広電「袋町」電停の目の前にある。普段は内部を見学することはできないが、イベント開催時は開館している。くわしくはこちら


作成:2000/3/22 最終更新:2006/5/20
作成者:makoto/arch-hiroshima 使用カメラ:Canon Power Shot G1
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