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| 奇跡の社宅街を前に、地域マネジメントの意味を噛みしめる。 |
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| 山田社宅 Yamada Company Housing |
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| 新居浜市の平野部に広がる社宅街。 現代の日本において近代の社宅街がこの質・量で残存しているのは奇跡に近く、伝建などの文化財の香りすら感じる。 前半では山田社宅の成り立ちについて簡単に記し、後半では個人的な感想を書いてみたい。 |
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| 山田社宅について | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() #2:敷地も建物も大きく、余裕を感じさせる。(拡大) |
江戸時代以来の長きに渡って銅の生産を続けた別子銅山も、昭和に入ると採掘の限界が見えるようになった。当時の住友別子鉱業所を率いた鷲尾勘解治は、鉱山依存からの脱却を目指して新居浜沿岸部の工業地帯建設を主導し、それまで別子の山中にあった社宅群も徐々に平野部に立地するようになる。その流れの中で1929年に開発が始まったのがこの山田社宅である。 この地には先に星越選鉱場という施設が設けられており、鉱山鉄道が通っていた。山田社宅は選鉱場の横に広がる水田を埋め立てた造成地に建設され、旅客用の駅舎も建てられた(写真#5)。さらに駅前には交番や浴場などが配され、一つの小都市が形成された。 社宅街の保全はまだこれからといった状態だ。社宅の半分は既に失われており、今なお老朽家屋の取り壊しが進んでいる。もし関心があれば早めに現地に行くことを薦める。 外野からあれこれ言う無責任さは分かっているけども、価値があるのは間違いないので、やはり文化財指定を急ぐべきだと思う。 |
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![]() #3:奥に見えるのが選鉱場跡で右端が星越駅跡。(拡大) |
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![]() #4:ちゃんと隅切りがしてある。(拡大) |
さて、社宅街の印象を決定づける要素になっているのが生垣だ。視線を遮りながらも適度な通風をもたらし、見た目にも優れているため、あえて板塀ではなく生垣が選ばれた。 住宅は平屋が多いが画一的ではなく、様々なバリエーションがある。住宅地の一角には特に広い敷地に洋館(外国人技師向けらしい)が建つ街区があり、さらにゴルフ場まである(こぢんまりとしたものだが実に美しい)。 おそらくプランナーは過酷な居住環境だった別子銅山を反面教師に、ゆとりある理想的な住まいを追求したのだろう。空間にもそれが表れている。 社宅街からは星越選鉱場跡を遠望できる。残念ながら選鉱場の施設群は既に大半が取り壊され、石垣や一部の設備を残すのみとなっているが、それでも壮観な風景だ(写真#15)。インクラインの様子もよく分かる(写真# 16) |
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| 奇跡の社宅街で一介の都市プランナーが感じたこと | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() #17 |
ここから先は「建築マップ」で書くことではないかもしれないが、一介の都市プランナーとしての感想を記しておく。 山田社宅に建つ個々の建物は標準化された戸建て住宅であり、建築意匠に際だったものはないのだが、空間の豊かさには圧倒される。先見の明を持って設計にあたったプランナー、大切に住み続けてきた住み手、企業が所有し続けたことや、更地にして開発するほどにはポテンシャルが上がらなかったという偶然。これらが全て合わさることでこの極上の景を形作っている。これは住宅公団が手がけた初期の団地も同様だ。 つまり、建設時のプランニングと完成後のマネジメントさえ適切に行っておけば、あとは時間の経過と共に風景は成熟していく。この街に身を置きながらそのことを再認識した。 |
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| 一方、戦後の戸建て分譲住宅地が(一般論として)美しくないのは、プラン自体が優れてないのもあるが、マネジメントの欠落も一因と思う。分譲住宅地は社宅街や公団団地と違い、プランナーや開発業者の仕事は造成して分譲するまでである。建築家にとって建物の竣工はゴールかもしれないが、街にとってはスタートであり、そこから先のマネジメントをしないというのは赤ん坊を放り出すようなもので、いくらよい子(=優れた建築群)を生んでもろくな大人(=街)に育たない。優れたプランニングとマネジメントが揃っていない住宅地は美観を維持できず、よほど好立地でない限り資産価値の下落を止められなくなるだろう。 有効なマネジメントを行うには、ハード&ソフトを包括して街を育てていく仕組みを予めデザインすることが決定的に重要である。具体的には、開発時に地区計画や建築協定(*1)を定めてハード面を担保し、さらに(街の運営には住民の合意形成がカギになるので)分譲のタイミングでコミュニティ形成を仕掛けて組織を整える(*2)。大阪の「コモンシティ星田」など注目すべき事例も出てきている。2) |
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| [補注] (*1) 分譲前に結んでしまうものは一人(いちにん)協定と呼ばれる。ちなみに地区計画は都市計画の一種なので行政が決定する。 (*2) 最近はこの部分を担当するコミュニティデザイナーという職種も生まれつつある。 [参考文献・サイト] 1) 社宅研究会「社宅街〜企業が育んだ住宅地〜」2009年 2) 国土交通省 エリアマネジメントの支援情報 コモンシティ星田 |
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