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愛媛県 INDEX
瀬戸内海地域最大規模の産業遺産群を見る。
DATA
■所在地: 愛媛県新居浜市
■用途: 採掘場・橋梁等
■稼働時期: 1691-1973年
端出場地区の地図(mapion)
東平地区の地図(mapion)

■関連ページ: 旧端出場水力発電所旧東平第三変電所別子銅山記念館山田社宅
新居浜の町を見下ろす急峻な山中に、かつて県下有数の繁栄を誇った別子銅山が眠っている。体系的・網羅的に書くのは難しいため、ここではマイントピア別子として公開されている箇所について、ごく簡単にレポートする。

別子銅山は1690年の発見以来、1973年に閉山するまで280年に渡り一貫して住友家の下で採掘が行われた。明治初期にはフランス人技師ルイ・ラロックのプランに基づいて近代化が図られ、生産量を増大させた。採鉱本部は採鉱場所や運搬ルートの変化にともない東延から東平、端出場へと移された。精錬所は沖合の四阪島に置かれ、採掘から出荷までの一連の工程が整えられていた。
旧別子銅山
Former Besshi Copper Mine

#1:別子銅山から新居浜の街を遠望する。
東平(とうなる)地区
東平地区には1916年から1930年の間、採鉱本部が置かれ、社宅群や学校、病院、浴場、娯楽場などが建ち並び、人口3000人を超える一大山岳都市を形成していた。現在見ることができるのは石垣やレンガ構造物に限られるが、それらの遺構だけでも往時の規模を体感できる。

採鉱・運搬のルートは時代により変化するが、現存する遺構との関係で述べると、まず掘り出された鉱石は鉄道に載せられ、第三通洞、大マンプ、小マンプを経て東平へ到着する。東平の貯鉱場に一時的に貯留された後、索道(ロープウェイ)で端出場地区へ運ばれ、再び鉄道で新居浜、さらに四阪島へと向かった。

索道は鉱石のほか生活物資の輸送にも使われたが、人が乗ることはできなかったため、東平へのアクセスは徒歩に限られていたという。
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2:貯鉱場跡と索道場跡を見上げる。 3:索道場(ロープウェイ基地)。 4-5:貯鉱場跡。 6:インクライン(ケーブルカー)跡。 7:小マンプ(トンネル) 8:小マンプ内では坑内鉄道の車両が展示されている。 9:第三通洞。 10:社宅の模型。 (写真2〜10はクリックすると拡大表示します)

#11:東平地区の見取り図(東平歴史資料館内の展示を撮影、加工)
端出場(はでば)地区
端出場地区は1930年から閉山までの間、拠点として機能したエリアで、テーマパーク「マイントピア別子」の施設群が建っている。往時の施設群はほとんど現存せず、第四通洞の入口と鉄橋(写真#13, 14)、旧水力発電所などに限られる。

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12:端出場地区の全景。 13:第四通洞。 14:第四通洞へ渡る鉄橋。 15:鉱山鉄道のごく一部が観光列車となっている。 16:泉寿亭。新居浜市街地にあった住友の迎賓館を移築したもの。 (写真はクリックすると拡大表示します)
関連施設
旧別子銅山の主な関連施設は別ページにて紹介する。
旧端出場水力発電所
旧別子銅山の端出場地区に残る水力発電所の跡。(内部見学不可)
別子銅山記念館
別子銅山閉山後に建設された記念館。
旧東平第三変電所
旧別子銅山の東平地区に残る変電所の跡。
山田社宅
新居浜市内に残る社宅街。
[補注]
(*1) 別子の鉱山鉄道は愛媛県内で2番目に敷設されたもので、新居浜の国鉄開通(1921年)より早い。

[参考文献・サイト]
1) マイントピア別子

[行き方ガイド]
自家用車: 新居浜市街地から端出場地区までは車で20〜30分。さらに東平地区までは車で20分程度。端出場から東平への道は狭く離合が難しいため、予想以上に時間を要する可能性あり。
作成:2012/6/2 最終更新:2012/6/2 作成者:makoto/arch-hiroshima 使用カメラ: Nikon D90
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