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瀬戸内海地域最大規模の産業遺産群を見る。 |
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旧別子銅山 Former Besshi Copper Mine |
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#1:別子銅山から新居浜の街を遠望する。 |
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東平(とうなる)地区 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
東平地区には1916年から1930年の間、採鉱本部が置かれ、社宅群や学校、病院、浴場、娯楽場などが建ち並び、人口3000人を超える一大山岳都市を形成していた。現在見ることができるのは石垣やレンガ構造物に限られるが、それらの遺構だけでも往時の規模を体感できる。 採鉱・運搬のルートは時代により変化するが、現存する遺構との関係で述べると、まず掘り出された鉱石は鉄道に載せられ、第三通洞、大マンプ、小マンプを経て東平へ到着する。東平の貯鉱場に一時的に貯留された後、索道(ロープウェイ)で端出場地区へ運ばれ、再び鉄道で新居浜、さらに四阪島へと向かった。 索道は鉱石のほか生活物資の輸送にも使われたが、人が乗ることはできなかったため、東平へのアクセスは徒歩に限られていたという。 |
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#11:東平地区の見取り図(東平歴史資料館内の展示を撮影、加工) |
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端出場(はでば)地区 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
端出場地区は1930年から閉山までの間、拠点として機能したエリアで、テーマパーク「マイントピア別子」の施設群が建っている。往時の施設群はほとんど現存せず、第四通洞の入口と鉄橋(写真#13,
14)、旧水力発電所などに限られる。 |
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関連施設 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
旧別子銅山の主な関連施設は別ページにて紹介する。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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[補注] (*1) 別子の鉱山鉄道は愛媛県内で2番目に敷設されたもので、新居浜の国鉄開通(1921年)より早い。 [参考文献・サイト] 1) マイントピア別子 [行き方ガイド]
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