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工業製品 INDEX | 神奈川県 INDEX
大戦を生き抜いた幸運船は
貴重なフランス直輸入のアールデコ。
DATA
■内装デザイン:Marc SIMON (マルク・シモン)
■所在地:神奈川県横浜市中区山下町山下公園
■就役:1930年(昭和5年)
■総トン数:12,000トン
■全長:163.3m 全幅:20.12m
■主機関:ディーゼル2基(11,000馬力)
■最大速:18ノット
■乗客331人/乗員126人
付近の地図(mapion)
デザイン決定の経緯

内装設計にあたっては国際コンペが実施され、フランス人デザイナーのマルク・シモンが選定された。外航船の主なターゲットは外国人であり、内装には通常古典様式が用いられたが、設計時はちょうどアールデコが短い流行期を迎えていた頃で、氷川丸では当時の「モダン」であるアールデコが採用されたようだ。

建具がどこまで輸入品であるかを明らかにしてくれる資料は手元にないが、いくつかの文献を見るに「照明、ドアノブからカーテンまで…」とあるので、デザインの及ぶかなりの部分が輸入と思われる。



アールデコとは??

ごく簡単に言うと、19世紀末に流行したアールヌーヴォーが植物由来の「左右非対称の”うねうね”デザイン」であるのに対し、1920年代に流行したアールデコは科学技術(結晶構造や電波など)をイメージさせる「左右対称の”かくかく”デザイン」だ。
一般にはニューヨークの摩天楼に見られる装飾が有名だが、アールデコ発祥の地はフランスであり、氷川丸・旧朝香宮邸ともフランス直輸入のアールデコで彩られている。

氷川丸で特に見応えがあるのは、一等社交室、一等喫煙室、一等食堂、階段室など。直線が多用され、左右対称で抽象的な装飾が見られる。例えばドアが二箇所ある場合、開く方向もドアノブの取り付けも左右対称になるよう配慮されている。
その他、壁の仕上げや照明器具、蛇口など、ディテールに至るまでデザイナーの手がしっかり入っていることが窺える。

氷川丸 横浜市指定有形文化財
Hikawamaru
かつて北米シアトル航路の主力船として活躍し、現在は山下公園に係留されている大型貨客船。国内に残る数少ない戦前の船であり、かつ「東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)」と同様、フランス直輸入のアールデコ装飾をとどめる貴重な例である。
ここでは2006年と2011年に二度に渡って訪問した写真を紹介する。現在公開されていない部屋も一部含まれるので注意されたい。

氷川丸は当初より荒天で知られる北太平洋航路を想定して設計されたため、重心が低く(デッキより上の構造物が低い)船体強度も高められている。

一等社交室。船内は必要最低限の広さで、大型船とはいえこぢんまりとした空間。

食堂

階段室。手すりは曲線だが、直接植物を思わせるわけではなくパターン化され、幾何学的・規則的で左右対称。

一等喫煙室の天井。鉱物の結晶のような形がまさにアールデコ。
上甲板の一等客室ゾーン。

何をチャージするんだろう…?
その他のみどころ

先の大戦で日本は商船・軍艦のほぼ全てを失ってしまったため、アールデコ云々以前に戦前の船に触れられるだけで大きな価値がある。氷川丸は現代の船とは違って手作りの部分が大半で、単なるノスタルジーだけではない魅力、古い洋館にも似たオーラを放っている。
(左から順に)

・一等社交室前の通路
・上甲板から後方を見る
・救命ボート
・デリックは貨客船の証
(左から順に)

・外板のリベット(*1)
・ブリッジの羅針儀
・機関部からトップライト(マシンハッチ?)を見上げる
・機関部の吹き抜け
(左から順に)

・船の最下層。両側にデンマークB&W社製ディーゼル機関
・B&Wの刻印が見える
・SIEMENSとあるが何の機器だろう?


[氷川丸の歴史]
大不況時代のただ中、日本郵船はあえて太平洋航路向けに大型船6隻を建造した。17,000トン級の3隻「浅間丸」「龍田丸」「秩父丸」はサンフランシスコ航路、12,000トン級3隻「氷川丸」「日枝丸」「平安丸」はシアトル航路に投入された。1番船として横浜で建造された氷川丸(船名は大宮の氷川神社に由来)は昭和5年に竣工、昭和7年にはチャップリン乗船で話題をさらった。グローバル化が進む一方で旅客機が登場していないこの時代、客船文化は絶頂を迎えていた。
しかし1941年に在米日本資産が凍結されると氷川丸も運行を中止。船体と乗組員は海軍に徴用され、病院船への改装工事を受けた。この際船体は白く塗られ、竣工当初の内装の一部が失われた。大戦中は主に南方(パラオ、ニューギニア、ソロモン方面)で活動。病院船であったため連合国軍から攻撃されることはなく(中には撃沈された病院船もあるようだが)、三度触雷するも北太平洋航路用の船体強度が幸いして沈没は免れた。なお、氷川丸の妹である日枝丸と平安丸は氷川丸と同じく戦時徴用されたが、潜水母艦(潜水艦への物資補給および乗員の休憩所となる艦)に改装されたため、いずれも撃沈されている。
戦後は南方や満州からの復員に使用された後、日本郵船に復帰。開戦前に存在していた日本の商船隊は艦隊ともども全滅状態で、外航船は氷川丸を含めて数隻しか残っていなかった。1953年にはシアトル航路に再就航したものの船体は既に旧式化・老朽化しており、さらに航空機の台頭もあって1960年に引退。今度はユースホステルへの改装工事を受け、所有も氷川丸マリンタワー株式会社に移り、山下公園に係留された。その後ユースホステルは廃止され船内の一般公開を続けていたが客足は伸びず、2006年に一度閉鎖。日本郵船の所属に戻り、2008年4月から再び公開されている。なお、2003年には横浜市指定有形文化財に指定されている。

[補注]
(*1) 板と板をつなぐ際に、予め空けておいた穴に鋲(リベット)を通し、反対側を潰して接合させる。釘やネジの仲間と考えてよい。身近な例だと、ジーンズのポケットによく使われている。現代では溶接技術が進んでいるため、船舶にリベットが使われることはない。
ちなみに、私の中でリベットと言えば「未来少年コナン」であり、同作品からは宮崎駿の異様なまでの”リベット愛”を感じることができる。

[参考文献・サイト]
1) 日本郵船(株)
2) 日本郵船歴史博物館・日本郵船氷川丸


作成:2006/12/18 最終更新:2011/7/2
作成者:makoto/arch-hiroshima 使用カメラ:NikonD70, D90
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