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広島県 INDEX
国内屈指の近世港湾都市。
本当にこの至宝を失って良いのか、今一度問う。

Tomo
DATA
■所在地:広島県福山市鞆町鞆
■建設時期:江戸中期
付近の地図(mapion)
福山市の郊外に位置する港湾都市。沼隈半島の突端に位置するという立地特性から、古くから瀬戸内海の海上交通における拠点港として栄え、北前船が行き交う江戸時代に全盛期を迎える。明治以降は鉄道のルートから外れたために尾道のような近代都市に発展することはなく、戦災も免れた。また、規模は小さいが漁業・鉄工業・保命酒といった地場産業があるのと、”そこそこ”の観光地であり続けたため、経済的にも一応自立している。これら偶然とも言える全ての状況が重なり合い、とても微妙なバランスの上に国内屈指の近世港湾都市が残されたと考えられる。

#1:いろは丸展示館

1.今に残る江戸時代の港湾景観


現在見ることのできる鞆のインフラや建築群は江戸時代、特に江戸後期の建設だ。ものの本によると、この規模で江戸時代の雁木(がんぎ)と常夜灯が残っているのは国内に例がないとのことで、その貴重性が指摘されている。

私が特に注目するのは、雁木が(本来の用途そのままではないが)現役の港湾施設として今なお使われている点にある。現役だからうっとうしい柵が設置されることもなく、船の出入りがあったり漁師が仕事をしていたりと、港湾景観を形成する要素が揃っている。水辺の景観演出において重要なのは、(1)ヒューマンスケールを重視すること (2)海の仕事を感じさせるようにすること、 の二点であり、国内でこれをやろうとして大失敗した例は数多い。(ちなみに後述する架橋計画では全く同じ失敗の轍を踏もうとしているのだが…)
ウォーターフロントのデザインをする際には、まず鞆のような現役の港湾景観をよく見てから取り組むべきだろう。

#2:雁木とは階段状の岸壁のことで、浮き桟橋のない時代に潮の干満に関係なく船にアクセスするための工夫だ。(こういう被写体にはPLフィルターが欲しかった…)
#3:雁木そのものは決して珍しいものではないが、この規模でとなると、確かに私も他の例を知らない。(スクロールすると全体を見られます)

#4:対潮楼からの眺め
2.自然景観

鞆が誇るもう一つの風景は、港湾とは反対側の、弁天島・仙酔島が形作る自然景観だ。小高い丘に建つ対潮楼からは、ちょうど額縁庭園のように瀬戸の島々を一幅の絵として鑑賞することができる。窓辺ではなく少し下がって正座して見るのが正しい鑑賞法だ。この地に立ち寄った朝鮮通信使(*1)はこの眺めを「日東第一形勝」と評し絶賛した。
ちなみに、宮城道雄はこの風景からインスピレーションを受けて名曲「春の海」を作曲している。



3.鞆の建築群

鞆の特徴は水辺の景にあるが、市街地の建築群についても重伝建(*2)相当の質と密度を備えている。県内の既指定の重伝建である竹原御手洗と比較しても同等かそれ以上といえよう。ただ、日本トップクラスの量・質というほどではなく、やはり港湾景観がなくては鞆の価値は半減すると思う。

数年前から比べるとリノベーション事例も見られるようになってきたのだが、それでも架橋問題(後述)が解決していない現状では、歴史的建築を修繕するための支援体制が整っているとは言い難い状況に思える。 これら建物の保全に公的支援は不可欠であり、早急に対策を講じなければ建物が傾いてしまう。

#5:太田家住宅付近(壁紙配信中
#6:友光軒
(床屋を改装したカフェ)
#7:岡本家長屋門 #8 #9:しまなみ信金
#10:林家住宅 #11:御舟宿いろは
(NPOが買取り旅館に改装)
#12 #13
 小さい写真はクリックすると拡大表示します。(Java Scriptを使用しています)

#14:道路が狭隘であるため慢性的な渋滞が発生している。
4.架橋問題について

この街は長年に渡って架橋問題に揺れている。
鞆は近代都市に脱皮することもなく戦災も受けていないため、江戸時代の町割がかなり残っている。そのため自動車の通行には支障が出ており、特に通過交通を流せていない現状がある。もちろん基準法上の最低ラインである4m道路すら満足にはない状況だ。

この場合、普通は現道を拡幅するか新たに道路を通すことになるが、それでは市街地に残る歴史的建築物を取り壊さざるを得ないほか、買収・収用には多大な時間がかかる。というわけで、埋め立て&架橋によるバイパス道路を設ける計画が立案された。しかしながら、その案では内陸部の建築群はある程度守られたとしても港湾景観が台無しになる。これはどう考えても明白だ。

広島県および福山市は 「例え港湾景観が破壊されたとしても必要なものは必要だ」 というスタンスを崩さず、推進派の市長が再選されたことで計画が一気に動きつつある。一方、住民意見は賛否が割れた状態で、国内外の識者はそろって架橋反対、さらにユネスコの諮問機関であるイコモスが「架橋を中止すれば鞆は世界遺産に匹敵する」とのコメントを出す事態になった。 (※このあたりは新聞報道の鵜呑みなので真相は別にあるのかもしれない)

現況。これでは通過交通を処理できない。

埋め立て&架橋案。港湾景観にとっては致命的だ。
福山市サイトでは架橋計画の詳細やモンタージュ写真などを見ることができます。
埋め立て&架橋計画の内容
架橋計画のモンタージュ写真

ルート案別の比較検討

#15:港湾景観(壁紙配信中) 埋め立て&架橋が実行されると、このど真ん中に橋が架かる。

#16:船も漁師も居ない港湾景観は大きくその価値を落とし、「現役で使われている」という鞆の優位性を自ら潰すことになる。
このプロジェクトの、あまり語られない問題点として、漁港の移転がある。先に書いたように、鞆の雁木は現役で使われていることが魅力であり、架橋にあわせて船を追い出すと、もはやそれは港湾景観ではない。
海の仕事を感じさせないウォーターフロントを計画して味気ないものにしてしまった例は枚挙の暇がなく、まさに同じ失敗の轍を踏もうとしている。
では、課題毎に整理してみよう。埋め立て&架橋案の選定にあたっては様々な議論と検討を経たはずなので、ここで書いた中には間違いや見当外れの項目もあるかもしれないが、容赦頂きたい。

課題 埋め立て&架橋案の主張 埋め立て&架橋案に対する疑問、対案
通過交通が市街地に流入して渋滞が発生する。 埋め立て・架橋によりバイパスが確保されるので渋滞が解消する。 確かに架橋で通過交通による渋滞は解消するが、トンネルでも同様の効果はあるのだから、橋ではなくトンネルにすればよい。
住民の自動車が外に出て行きにくい。 市街地から橋にアクセスでき、問題が低減する。 橋は市街地から離れたところに架ける計画であり、やはり市街地の内部の道路は狭隘なままである。従って架橋による効果は疑問。架橋しなくても、既存道路を相互通行から一方通行に変更してループ道路を形成するなど、やり方はあるように思うが…。
外部から観光客が来にくい。 道路が広がることで観光バスが入れるようになる。埋め立てにより駐車場も確保できる。 観光客は自動車の無い時代の街並みの非日常性を求めて訪れるものであり、その魅力を潰すのは本末転倒。それに、観光バスで大挙して押し寄せてくるツアー客を相手にすると、街並みはテーマパーク化され、観光客に媚びた店だらけになり、地域への負荷が大きすぎる。 むしろ、人数は少なくても質の高い個人旅行者をターゲットにするのが近年のトレンドであり、持続可能性も高いので得策である。
緊急車両の通行に支障が出る。 市街地への進入路を新たに確保できる。 市街地内部の道路に手を付けずに架橋でどれほどの効果が出るのか疑問が残る。狭隘路でも入っていける小型の消防車を配備する、防災用のポケットパークを整備するなどのメニューを活用すればよい。例えば奈良の今井町のようなイメージだろうか。
※福山市サイトの「ルート案別の比較検討」を参考にした。

計画推進側は「景観のために生活を犠牲にできない」という主張を展開しているが、本当に「景観」と「生活」が対立しているのかは微妙だ。つまり、架橋したところで問題は残されるし、架橋しなくても問題の軽減は可能ではないか、という気がする。
5.改めて問う、本当にこの至宝を失ってよいのか?

このサイトはあまり扇動的な内容は書かないように心がけているが、今回の問題についてはあえて書かせてもらいたいと思う。


架橋により鞆の価値が上がるか下がるか?
下がると思われる。その理由としては、よく語られる「架橋による眺望の阻害」もあるが、先に述べた「港湾施設の移設による水際景観の喪失」も大きい。価値が下がるということは、単に観光客が減るだけではなく、移住者や起業家や外部サポーターが去ってしまう( or 来てくれる可能性を潰してしまう)。地元住民にとってはどうでもよいことかもしれないが、せっかくの活性化チャンスをフイにしてしまうのは実に惜しい。


まちづくりは地元の意見で進めるべきで、外部からあれこれ言われる筋合いはない?
一見正論には思える。しかしながら、多くのまちづくり事例を見るに、外部の血を入れず地元の意見だけで進めて成功させるのは容易ではない。自分たちの街の魅力や問題点を外部の人間に客観的に評価してもらうことは戦略づくりに不可欠と言える。保命酒にしても、鞆から見れば「よそ者」が始めた事業だが、それを街として取り込むことで地場産業として定着させた。今これだけ内外の専門家や著名人から忠告が寄せられている中で、あっさり突っぱねて本当にいいのだろうか。

ともかく、一度壊すとそれきりなのだ。埋め立て&架橋案では確かに自動車での移動は若干便利になるが、引き替えに失うものがあまりに大き過ぎる。過去の遺産を破壊したがために浮上のチャンスを失い沈んでいった都市は数多い。一時の過ちで鞆どころか福山市全体も沈んでしまうことのないよう、祈るばかりだ。
[行き方ガイド]
JR福山駅から鞆行きのバスで30分ほど。意外に便数が多い。

[補注]
(*1) 朝鮮から主として江戸幕府に送られた使節団。徳川家康は朝鮮出兵で悪化した朝鮮との関係修復に努め、江戸時代を通じて両国の関係は概ね良好に保たれていた。
(*2) 重要伝統的建造物群保存地区

[参考文献・サイト]
1) 雑誌「季刊まちづくり」 16号 pp67-
2) 西村幸夫ら(2003)「日本の町並みII」平凡社 別冊太陽 pp42
3) 2003年9月4日付「中国新聞」 http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn03090406.html
4) 郷愁小路
作成:2003/9/5 最終更新:2009/1/13
作成者:makoto/arch-hiroshima 使用カメラ:NikonD70
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