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広島県 INDEX
広島を代表する町家群。
開発圧力から逃げ切った今後の展開は如何に?
DATA
■建設時期:江戸時代中期〜
■所在地:広島県竹原市竹原町
■用途:住宅、店舗、資料館等
付近の地図(mapion)
竹原 重要伝統的建造物群保存地区
Takehara
竹原は平安時代に京都下賀茂神社の荘園となり、鎌倉時代に小早川氏が地頭として赴任。以後同家の支配下にあった。江戸時代には広島藩が塩田開発に乗り出し、製塩業を基盤に栄えた。同時に文化面でも発展し、頼山陽で知られる頼家などの文人を輩出した。
この時都市が形成されたのが本川の東岸であり、今回取り上げるエリアにあたる。

その後、都市が近代化する中で塩田は市街地に変えられていった。本川西岸、竹原駅、市役所があるエリアが新市街地にあたる。この新市街地はご多分に漏れず衰退の道を辿っており、シャッター街と化している。何らかの対策が必要だろう。

広大な塩田を市街地にすることで近代化圧力を吸収でき、江戸時代中期の街区がそっくり保存されたのはまさに幸運であったと言っていい。人口減少時代にあって、必ずしもポテンシャルの高くない竹原の旧市街にこれ以上開発圧力が及ぶとは考えにくく、さらに伝建(1)に指定されたこと、町並みが観光資源として立派な価値を持つとの認識が広まったこともあり、この町並みが破壊される懸念は少なくなった。



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#1:西方寺からの眺望

#2:伝建地区の南端部

#3

#4:電線地中化、石畳舗装が整備済み

#5:平入りと妻入りが混在
#6:歴史民俗資料館 #7:まちなみ竹工房

#8:照蓮寺から西側を見る。伝建地区外では電柱が残っている。

 #9:伝建地区の北端。自然発生の広場に官民境界を引くのはつくづく難しい。

 #10:本川。右側が東岸にあたる。
そこそこの観光地に育っている竹原だが、観光客が観光バスで大挙して押し寄せてくるテーマパークにはなっていない。竹の街を演出する試みとして竹細工工房が置かれており、竹のライトアートイベントを開くなど、身の丈の範囲で地域づくりに取り組んでいる姿勢には好感が持てる。
ただし、住民の高齢化等に伴って建物の維持が難しくなる現状がある。保存しながらの活用をどうするのかが、今後の重要な課題となっている。
[補注]
(1) 伝統的建造物群保存地区。建築群を文化財として保存する(管轄は国交省ではなく文化庁)。

[参考文献・サイト]
1) 竹原市ウェブサイト

[行き方ガイド]
電車の場合 : 広島-竹原間はJR呉線で約85分。竹原駅から伝建地区までは徒歩10分ほど。
※この日巡ったルートを参考までに記しておくと…
広島駅−(JR)−忠海駅−(船)−大久野島−(船)−忠海駅−(JR)−竹原駅−竹原伝建地区−竹原港−(船)−大長港−御手洗伝建地区−大長港−(船)−広島港
作成:2005/1/10 最終更新:2005/1/10
作成者:makoto/arch-hiroshima 使用カメラ:CanonPowerShot G1
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