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ドイツ インデックス |
Potsdamer Platz Redevelopment Project
ポツダム広場再開発プロジェクト
DATA
■設計:
・ SONYcenter/Helmut JAHN
(ソニーセンター/ヘルムート・ヤーン)
・ DaimlerCity
masterplanRenzo PIANO+Christoph KOHLBECKER
ダイムラーシティ
マスタープラン/レンゾ・ピアノ+クリストフ・コールベッカー)
・ A+T project
masterplanGiorgio GRASSI
(A+Tプロジェクト
マスタープラン/ジョルジョ・グラッシ)
■所在地:PotsdamerPlatz , Berlin-Tiergarten , Germany
■用途:事務所、映画館、店舗、住宅 ほか
■竣工:1999-2001年(予定)
INTRODUCTION

在りし日のポツダム広場
(絵葉書より。(C) Sammlung EICKEMEYER)


現在のポツダム広場
ベルリンが隆盛を極めた黄金の1920年代、その中心地であったポツダム広場はヨーロッパ大陸で最も交通量の多い交差点として知られていました(ここに据えられていたヨーロッパ初の信号機が現存しています)。しかし第二次大戦では他の地区と同様 徹底的に破壊され、さらに戦後はここにベルリンの壁が建設されたため、建築群は再建されることもなく荒廃したまま放置されてきました。
壁の崩壊後は、統一ドイツの象徴としてダイムラーとソニーの資本を導入しての再開発が始まりました。
ベルリン市が1991年に実施した都市計画コンペではヒルマー(Heinz HILMER)とザトラー(Chiristoph SATTLER)が提出した案が一等となり、この案を元に地区毎にコンペが行われました。
その結果、ダイムラーシティはレンゾ・ピアノが、ソニーセンターはヘルムート・ヤーンが担当することになり、両者に隣接するA+Tプロジェクトはジョルジョ・グラッシに決まりました。




世界で最も建築活動が盛んなベルリンの街は、低層〜中層の真新しいビルで溢れています。個人的な印象では、幕張ベイタウンがどこまでも続いているような、そんな感じです(分かりにくい例えですいません)。
その新都市の中心になることを運命づけられたポツダム広場には過去を伺わせるものはSバーン(近郊鉄道)の軌道を除くと皆無で、何もないところに突然ビル群が出現したという印象です。都市ができあがった時にこのエリアがどういう意味を持ってくるのか、まだ見えてきません。全てが完成してから再訪してみようと思います。
INDEX
SONY Center
1: ソニーセンター/ヘルムート・ヤーン
DaimlerCity
11:デビス本社/レンゾ・ピアノ
 
A+T Project
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作成 :2001/9/17
最終更新 :2001/10/1
作成者 : makoto (arch-hiroshima)
使用カメラ :CanonPowerShotG1

註)表記は原則英語とし、地名についてはドイツ語を尊重しています。
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