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| 保存状態の良い要塞跡 |
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| 小島の旧軍施設 Oshima |
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| 芸予要塞の成り立ち | |||||||||||||||
![]() #1:小島港。石積み護岸は当時のものと思われる。(拡大) |
明治時代、敵国の戦艦の侵入をどう防ぐかは国防上の重要なテーマであり、全国各地に砲台が建設されていた。当時は砲の射程が短く、豊後水道では幅が広すぎて防衛が難しいため瀬戸内海で迎撃せざるをえず、芸予要塞と称して広島県の大久野島と愛媛県の小島に砲台が建設された。設計に関与した上原勇作(当時大佐、のち元帥)はフランス仕込みの近代要塞の専門家で、工兵の育成に取り組んだ軍人として知られている。 小島では山頂部の中部砲台、沿岸部の北部・南部砲台、計3箇所に16門が設置された。主力の28cm榴弾砲は日露戦争が始まると前線に移設され使用されたが、砲台そのものは実戦を経験することはなかった。日露戦争後に砲の射程が伸び、佐田岬半島に豊予要塞が建設されると芸予要塞の存在価値は急速に薄れ、砲台は廃止となった。 |
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![]() #2:芸予要塞と広島湾要塞 |
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![]() #3:かつての物資運搬路を利用した園路。(拡大) |
砲台廃止後の歩みは二島で全く異なる。大久野島は引き続き陸軍が居座り、毒ガスの島へと変貌したが、小島では地元の嘆願活動もあり公園として再整備されることになり、現在に至っている。 |
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| (1)発電所跡(南部) | |||||||||||||||
![]() #4:発電所の外観。(拡大) |
レンガ造の小さな火力発電所(石炭)で、南部探照灯(サーチライト)向けに電力を供給していた。発電機などの設備は取り払われており、屋根は近年の補修時に瓦から鋼板に変更されるなどしているが、保存状態は良好だ。 |
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| (2)南部砲台跡 | |||||||||||||||
![]() #9:南部砲台跡。コンクリートがやたらと分厚い。(拡大) |
ここには沿岸砲として12cmカノン砲が2門据え付けられていた。石・レンガで壁を作り、無筋コンクリートの屋根を載せ、カムフラージュのため人工的な盛土で覆っている。この構造は他の砲台も共通している。 |
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| (3)弾薬庫跡 | |||||||||||||||
![]() #10:弾薬庫跡。(拡大) |
レンガ造の弾薬庫。通風に配慮してか、床下にも空間が設けられている。木造瓦葺きの屋根は既にない。 また、周囲は爆発事故に備えた土塁で囲まれている。 |
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| (4・5)中部砲台跡 | |||||||||||||||
![]() #11:中部砲台。(拡大) |
山頂部に設けられた砲台。ここには主力の28cm榴弾砲6門と司令塔が置かれており、敵が上陸した際の近接戦闘にもある程度耐えるように計画されていたらしい。 司令塔周辺は瀬戸内海を一望できるため、現在でも展望台となっている。 砲台の構造は石・レンガ・コンクリートに盛土を組み合わせるスタイルで、他事例と同様。保存状態は申し分なく、比較的容易に見学できる。 |
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| (6)発電所跡(北部) | |||||||||||||||
![]() #16:屋根の形が南部のものと違う。(拡大) |
北部探照灯(サーチライト)向けの火力発電所。南部砲台近くの発電所と似通っているが、屋根は切妻ではなく陸屋根となっており、当時としては非常に珍しい鉄筋コンクリートが使われている。 |
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| (7)北部砲台跡 | |||||||||||||||
![]() #21:北部砲台。(拡大) |
北部砲台は24cmカノン砲4門と9cm砲4門が設置され、司令塔や探照灯(サーチライト)設備も整っていた。 注目されるのは、一部が破壊されている点だ。陸軍は砲台廃止後に、小島を目標とする航空機の爆撃訓練を行っている。実際にはあまり命中しなかったようだが、その際に掩蓋に穴があいたため、断面構造を観察することができる。 |
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| (8)来島海峡 | |||||||||||||||
![]() #26:来島海峡を進む貨物船。背後の橋は しまなみ海道。(拡大) |
要塞見学のついでに海際の道を歩くと、来島海峡の様子を間近に見ることができる。世界有数の”海の難所”と呼ばれるだけのことはあり、潮流の早さに驚かされる。 古来より来島一帯は海賊衆の拠点として知られていた。重要な航路のただ中にあり、しかも潮流が複雑で防衛に適していたためであるが、そこが近代要塞の適地ともなるのはある種の必然性を感じさせる。 |
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| #27:動画(ピンぼけ) | |||||||||||||||
| [参考文献・サイト] 1) 大成経凡(2005)「しまなみ海道の近代化遺産」 創風社出版 [行き方ガイド]
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