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圧倒的な造形美で勝負する建築ではないけれど、 小品ゆえの居心地の良さを備えた”愛せる建築”だ。 |
テーマ1:日本的なるモダニズムの表現 施主から求められたのは国際的な学術研究に係る交流拠点であり、主に外国人の利用が想定されたため、日本的なるモダニズムの表現が設計における大きなテーマとなった。 まず同時期の他の建築と共通している要素としては、水平ラインの強調や勾欄の表現がある。一方この建物ならではの要素としては、木製(桧材)サッシの採用、真壁を思わせる白塗りの壁、などが挙げられるだろう。 テーマ2:庭園との調和・共生 設計にあたってもう一つ要求されたのは既存の日本庭園を活かし、建築と調和させていく点にあった。この建物の場合、当初から低層部の屋上緑化が考えられており、居室から見ると屋上の緑と庭園とが連続するよう配慮されている。また、平面プランは従前の岩崎邸の配置を踏襲している(岩崎邸の地下構造物を再利用したらしい)ので、庭園との関係性は良好に保たれている。 庭園のレベル差や規模を考えると、庭園と建物の”相対する”関係を保つには、この本館の高さが限界で、前川が手がけた新館でも高すぎるように思えた。(庭園側から撮ると新館は27ミリのレンズにも入りきらない) もしこれが建て替えられていたら、日影の関係から細長い高層ビルになっていたはずで、どんな言い訳を考えたって庭園との関係はご破算になっていたはずだ。 巨匠が3人も揃うと… ビッグネームが3人も揃うと「船頭多くして…」状態に陥ることは容易に想像できるが、実際、3人で話し合って設計したのではなく、それぞれ好き勝手なことを言っていたらしい。実際に図面をまとめていく担当者の苦労は相当なものだったろう。
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国際文化会館 International House of Japan |
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六本木ヒルズにもほど近い、鳥居坂に面する小高い丘に建つ研修施設+ホテル。 まずはプロフィールから紹介しよう。江戸時代この地には多度津藩の屋敷があり、明治に入って井上馨の所有となった。更に久邇宮邸、赤星鉄馬邸、岩崎小弥太邸と変遷し、1929年(昭和4年)には岩崎家鳥居坂本邸が建てられた。この岩崎邸建設時に7代目小川治兵衛(*1)の手による日本庭園が作られたとされる。戦災により邸宅は被害を受けたが庭園は残り、一度国有地となった後払い下げられ、現在の建物が建設された。竣工後は細部を改修しながら使われていたが、1970年代になると早くも取り壊しの危機に瀕してしまう。結局石油危機の余波で建築費が高騰したため増築で対応することになり、前川事務所の設計で増築(写真#7)されエントランスの位置等全体のプランも大幅に変更された。さらに2000年代に入ると再び取り壊しの危機に見舞われたものの、建築学会が提示した保存案が採用されて辛うじて生き残り、免震化や居室拡大などの改修工事を受けて現在に至っている。 |
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#1:庭園側から南側立面を撮る。手前に突出しているのはティーラウンジ(増築時にラウンジから改装された)で、その左にロビー(増築時に事務室から改装された)。このレベルが1階に相当する。屋上緑化は当初から採用されており、ロビーから庭園へ緑を連続させている。 |
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#2:従前この場所にあった岩崎邸をそのまま受け継いだ?と思われるメインゲート。手前の道路は鳥居坂。 |
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#9:ガーデンパーティに良さそうな低層部。芝生のレベルはB1 |
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何はともあれ、生き残ったことは素直に喜びたい モダニズムの逸品が続々と失われていく中でこの建物が生き残れたのは、
最後に全体的な感想を書いておくと、まずこの建物に圧倒的な造形美は見あたらない。ひょっとしたら巨匠3人でお互いのアクを消し合ってしまったのかもしれない。でも自己主張はこの程度に留めておくのが望ましいという気もするし、ヒューマンスケールで破綻無くまとめられた内部空間や経年変化で生まれてくる味わいは、いまどきの建築にはない魅力だと思う。 ここでガーデンパーティを開けば最高に気持ちいいに違いない。それで十分ではないだろうか。 |
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[補注] (*1) 7代目小川治兵衛(1860-1933) 京都の造園家で屋号は「植治(うえじ)」。近代日本庭園のスタイルを確立した名手で、多くの邸宅の庭園、平安神宮や円山公園などを担当した。現在も小川治兵衛の名は世襲により受け継がれている。 [参考文献・サイト] 1) (財)国際文化会館 公式サイト 2) 雑誌「新建築」1955年7月号 3) 雑誌「新建築」1976年4月号 pp235 4) 植治・小川治兵衛 ウェブサイト 5) 雑誌「新建築」2006年9月号 pp198 [行き方ガイド]
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