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山陰の小京都。 |
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津和野
Tsuwano |
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現在の津和野の骨格は江戸初期の坂崎氏時代に形成され、次いで入封した亀井氏が幕末まで支配した。亀井氏は藩校「養老館」を開くなど人材育成に力を注ぎ、西周(にしあまね)や森鴎外などの文化人を輩出した。
津和野は周囲に大都市がなく、大きな開発圧力を受けないまま今も小京都の趣を保っている。
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#1:津和野のメインストリート。右側が民俗資料館(旧藩校「養老館」)で左側が町役場。町人街の町家と違って、武家屋敷の街並みは間口が広く密度の低い空間になる。観光を意識した修景部分が馴染んできているが、舗装についてはまだ新しく不自然な印象。 |
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比較的早い時期から実施されたデザインコントロールが、時を経た今、実を結んでいる。すなわち、観光を意識した修景と歴史的建築とが同化しつつある。
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建築のデザインコードとは、要するに「作法」だ。現代のニーズから導かれる要素(ボリューム・耐震性能・空調・バリアフリー・車への対応等)を建築に取り込むことは否定されるべきではないが、何をやってもいいわけではなく、「作法」を守ることで先人の遺した建築に敬意を表すことは建築家として最低限のマナーだ。津和野での作法とは、石州瓦と白壁、軒線、さらに地区によっては間口なども入ってくるかもしれない。
津和野では重伝建指定による補助金はないと思われる(未確認)が、嫌々「作法」を守るだけでなく、積極的に作法を咀嚼消化し自らのオリジナリティを加えた良作がいくつかある。絶対高さ規制で揉めるなどというレベルの低い話とは違う。 |
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#2:町人街の街並み |
#3:町役場(1919年。設計者不詳)。変な理由を付けて取り壊さなかったのは賞賛に値する。 |
#4:三階建て? |
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#5, 6, 7:公民館。通り沿いの風景の作り方、リバーバンクと一体化した庭園とボリュームの隠し方など、自ら率先して景観形成に努めるべき公共建築に求められる要素を全て兼ね備えている。もっと有名になっていい建築だ。 |
#8:水の都を象徴する酒蔵 |
#9:安野光雅美術館。規模・構造を現代ニーズに適合させつつ、外観については作法を守っている。 |
#10:森鴎外記念館。ガラスを選択しているが、屋根の形態と材だけは(最低限ではあるものの)作法を守っている。 |
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護岸のデザインも見逃せない。
奇抜さを廃し確証の持てるデザイン規範を用いていることに加えて、工事から時を経て材が馴染んできていることもあり、「風景的調和」の何たるかを知るにはとても良い素材だと思う。 |
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#11:広場 |
#12:橋詰 |
#13:景観設計のお手本のような護岸デザイン。背後にある公民館との風景的な調和も秀逸。 |
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津和野は水の都であり、豊富な水量を活かして江戸時代から酒造業や製紙業を発達させてきた。普通の観光客はメインストリートだけ見て帰っていくが(photo#14)、水の都の神髄はむしろ何気ない街角の洗い場にある。 |
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#14:日中は多くの観光客が訪れる。 |
#15 |
#16 |
#17:街の各所に洗い場?が設けられている。水量の豊富さが窺えるシーン。 |
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津和野の観光パターンはほぼ決まっている。午前の「SLやまぐち号」でやってきて、数時間観光した後、午後のSLで新山口に戻る…というパターンだ。観光客が津和野観光に出ている間、SLはヤードで休憩している。このSLは1979年(昭和54年)から復活運転を開始しており、すっかり定着した感がある。 |
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#18:休憩中の貴婦人C571 |
#19:ターンテーブル |
#20 |
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他の見どころとしては、民俗資料館にも近い津和野カトリック教会(#21, #22)、豊富な水を活かした製紙業(#23,
#24)と酒造業(#8, #29)などが挙げられる。 |
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#21, #22:カトリック教会。内部には畳。 |
#23, #24:伝統の紙づくりから派生したお面 |
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#25:沿線風景 |
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#27:太鼓谷稲成神社 |
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#28 |
#29 |
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#30 |
#31 |
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訪問した日、偶然津和野踊りを見た。日が暮れると観光客は激減し、まちは再び地元のものに戻る。こういった街は、とにかく一泊しないと魅力の大事な部分を見落としてしまうことが多い。宿をとって正解だった。
津和野の盆踊りは近世の盆踊りをよく伝える独特のもので、黒頭巾に白鉢巻を締め、白装束を纏ってゆったりと踊る。
装束をよく見ると、尼子家の家紋に似たパターンがあしらわれている。この踊りを広めた領主の亀井氏は尼子再興を目指した勢力であることを考えると、これはやはり家紋なのだろう。 |
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[参考文献・サイト]
1) 「津和野町観光協会」 ウェブサイト
2) 「盆踊りの世界」 ウェブサイト
3) 「SLやまぐち号」 ウェブサイト
[行き方]
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[鉄道の場合] 新幹線が停車する新山口駅からJR山口線でアクセスするのが普通。所要時間は、60分(特急)、100分(普通)、120分(SLやまぐち号)。SLは冬季を除いて週6日運行しており、全席指定となっている。詳しくはJRおでかけネット(JR西日本)を参照。 |
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[バスの場合] |
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[自家用車の場合] 中国自動車道六日市ICより約60分。詳しくは観光協会のサイトを参照。 |
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先程も書いたように、ぜひ一泊して「観光客が帰った後の津和野」を味わって欲しい。時間があれば堀庭園にも足を伸ばしたい。
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作成:2005/3/12 最終更新:2005/3/22
作成者:makoto/arch-hiroshima 使用カメラ:Nikon D70 |
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