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石川県 INDEX
藩祖前田公を祀る神社は
文明開化のシンボルタワー
DATA
■設計:津田吉之助
■所在地:石川県金沢市尾山町11-1
■用途:神社
■竣工:1875年(明治8年)
■規模:建築面積56.5m2
■構造:木造+石造
(避雷針の先端までの高さ25m)
付近の地図(mapion)

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しかし、創建から2年後に建てられたこの神門で様相は一変する。よく「和風とも洋風とも竜宮城ともつかない…」と語られるように、類例のないオリジナルデザインだ。高い技量を持った江戸時代の大工が見よう見まねで建てた西洋館(擬洋風建築と呼ばれ明治初期だけに見られる形式)にも似たオーラを感じる。
仏教寺院ならともかく、よりによって神社になぜこのような”ありえない”デザインを採用したのか、理由の分かる文献は手元にないが、神門建設の中心人物である長谷川準也と設計施工をこなした大工津田吉之助が鍵を握っているのは間違いないだろう。

中心になった長谷川準也は、幕末に藩内抗争に敗れて弾圧される加賀藩開明派の<黒羽織党>の家に生まれ、天井から地球儀のぶら下がっているような珍しい家庭環境で育ち、維新後は身につけた洋学の知識を生かして製糸や鋳造や製塩の洋式工場を次々に起こし、路頭に迷う旧藩士たちを救済し、近代金沢の恩人になっている。
(藤森照信著「建築探偵神出鬼没」朝日新聞社pp116より引用)

話の順序としては、長谷川は尾山神社創建の翌年に洋式製糸工場を建設し、その際功績のあった津田に尾山神社神門の設計を依頼したらしい。

まだ高い建物がない時代、小高い丘の上に三階建てなら相当目立ったはずで、しかも最上階にある色とりどりのステンドグラスはランプで光らせることができたというから、シンボルタワーとしての要素が強かったのではないかと思う。
尾山神社神門 国指定重要文化財
the Main Gate of Oyama Shrine
金沢城に隣接して建つ神社の門。
尾山神社は1873年(明治6年)藩祖前田利家を祀る(*1)神社として創建された新しい神社で、創建時に建てられた本殿(写真#4, #5)を見れば分かるように、当初はごく普通の神社だった。

#1:本殿側から神門を見る。頂上にあるのは当時から付いていた避雷針で、オランダ人医師ホルトマンの手によるものと伝えられている。

#2:鳥居との組み合わせにも違和感が…

 #3:一層目の外観は石造だが内部は木

 #4:本殿

#5

#6:神門一層目の装飾も見応えあり。


#7:レンガに梅鉢紋(前田家の家紋)の組み合わせ。神社にレンガというのも珍しい気がする。
[補注]
(*1) 正確には、郊外の卯辰山(卯辰八幡社)に祀られていたものを、新設された尾山神社に移したらしい。

[参考文献・サイト]
1) 藤森照信 (1997) 「建築探偵神出鬼没」 朝日新聞社
2) ウィキペディア「尾山神社」
3) ウィキペディア「擬洋風建築」

[行き方ガイド]
「南町」バス停から徒歩3分。「香林坊」バス停からだと徒歩5〜10分くらい。
ただ、近江町市場や長町武家屋敷からも徒歩圏内なので歩いて見て回った方が早い。
作成:2006/9/28 最終更新:2006/9/30
作成者:makoto/arch-hiroshima 使用カメラ:Nikon D70
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