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藩祖前田公を祀る神社は 文明開化のシンボルタワー |
仏教寺院ならともかく、よりによって神社になぜこのような”ありえない”デザインを採用したのか、理由の分かる文献は手元にないが、神門建設の中心人物である長谷川準也と設計施工をこなした大工津田吉之助が鍵を握っているのは間違いないだろう。
話の順序としては、長谷川は尾山神社創建の翌年に洋式製糸工場を建設し、その際功績のあった津田に尾山神社神門の設計を依頼したらしい。 まだ高い建物がない時代、小高い丘の上に三階建てなら相当目立ったはずで、しかも最上階にある色とりどりのステンドグラスはランプで光らせることができたというから、シンボルタワーとしての要素が強かったのではないかと思う。 |
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尾山神社神門 国指定重要文化財 the Main Gate of Oyama Shrine |
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金沢城に隣接して建つ神社の門。 尾山神社は1873年(明治6年)藩祖前田利家を祀る(*1)神社として創建された新しい神社で、創建時に建てられた本殿(写真#4, #5)を見れば分かるように、当初はごく普通の神社だった。 |
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#1:本殿側から神門を見る。頂上にあるのは当時から付いていた避雷針で、オランダ人医師ホルトマンの手によるものと伝えられている。 |
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#6:神門一層目の装飾も見応えあり。 |
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#7:レンガに梅鉢紋(前田家の家紋)の組み合わせ。神社にレンガというのも珍しい気がする。 |
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[補注] (*1) 正確には、郊外の卯辰山(卯辰八幡社)に祀られていたものを、新設された尾山神社に移したらしい。 [参考文献・サイト] 1) 藤森照信 (1997) 「建築探偵神出鬼没」 朝日新聞社 2) ウィキペディア「尾山神社」 3) ウィキペディア「擬洋風建築」 [行き方ガイド]
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