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「かまぼこ型兵舎」の貴重な生き残り |
外観上の特徴は一見すると分かるこのヴォールト屋根だ。これはデザインに凝ったわけではなく、実用上必要な形だったわけでもなく、米軍の「かまぼこ型兵舎」を再利用したためである。 ヴォールトとは要するにアーチをたくさん並べた形態であり、構造が簡単な割に頑丈で大容量を確保できるので、第二次大戦期に米軍が前線基地用の兵舎として大量生産していた(*2)。終戦後間もない日本では建築資材に乏しかったため、払い下げの「かまぼこ型兵舎」を校舎や教会などに利用したケースが相当数あったらしい。ただしこれほどの規模の施設が現役で使われ、しかも間近に見ることができる場所は国内には少ないと思われ、貴重な存在と言える。 確かに「かまぼこ型兵舎」自体は珍しい代物ではないけど、やはりアメリカの大きな影を感じずにはいられない、そういう場所だ。 今回は外観しか見ていないが、いずれ機会を見つけて内部見学もしてみようと思う。 |
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放射線影響研究所 Radiation Effects Research Foundation |
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広島デルタを見下ろす小高い丘に建てられた、放射線の人体への影響に関する研究所。「放影研」と略されることが多い。被爆者の治療ではなく調査が目的であることから、「アメリカが広島を核実験地と見なしている証拠」などと批判され続けた歴史を持っている(*1)。ここでは放影研の存在の是非については触れず、その建物について見ていきたい。 | |||||||||||||
#1:背後のアンテナはNHKのもので放影研とは無関係。 |
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[補注] (*1) アメリカは終戦後直ちに広島に調査団を派遣し被害状況の調査を行った。その後、放射線の影響調査を長期的に行うというトルーマン大統領令を受け、1947年にABCC(原爆傷害調査委員会)を(広島と長崎に)設立、さらに現在地に研究所を新設した。ABCCの主導権は完全にアメリカ側にあり、市民の評判は極めて悪かったという。1975年以降は日米共同運営となり、ABCCからRERF(放射線影響研究所)に名称変更され、現在に至っている。 (*2) 日本軍も一応プレハブ式の兵舎を持っていたが、米軍のような大量供給は到底無理で、実際は現地で簡単な小屋を建てるか民家を接収して兵舎に充てていた。 (*3) 従前この場所には陸軍墓地が設けられていたが、1944年には墓標を撤去し合葬することとなり、その工事中に終戦を迎えた。その後、ABCC建設のため完全に破壊され、1960年に小規模な墓地に修復された。(arch-hiroshima 比治山陸軍墓地) [参考文献・サイト] 1) (財)放射線影響研究所 公式サイト [行き方ガイド]
[見学ガイド] 外観の見学であればいつでも可能。特に警備が厳しいといったことはない。内部見学であればオープンハウス時(8月初旬)が確実だが、オープンハウス以外でも見学可能らしい。事前に問い合わせること。 |
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