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広島県 INDEX
旧海軍根拠地の面影を残す貴重な遺構。
DATA
■設計:桜井小太郎
■所在地:広島県呉市幸町4-6
■用途:官舎
■竣工:1906年
■構造:木造平屋 天然スレート葺き
■付近の地図(mapion)
言うまでもなく、戦前・戦時中の呉は横須賀と並ぶ海軍の一大拠点であり、仕事を求めて多くの労働者が流れ込んだ結果、広島に匹敵する人口規模を誇った時期もあった。何も無かったこの地に突然海軍がやってきて都市が建設された経緯から、呉は極端に海軍に依存した都市であったと言ってよい。戦後、海軍工廠は民間企業が、司令部施設などは海上自衛隊が使用しているが、当時の面影を伝える遺構は少ない。そういった少ない遺構の一つがこの司令長官官舎である。

イギリスに範を求めた(1)海軍だけあって、外観はイギリス風のハーフティンバーで屋根は天然スレート葺き。品格が備わった外観だ。洋館の背後には和館(写真#7)があり、司令長官および家族の普段の住まいとして使用された。

設計は当時の呉海軍経理部建築科長であった桜井小太郎(1870-1953)。若くしてイギリスに渡り研鑽を積んだ建築家であり、この仕事には最適任であったことだろう。

 
1906 芸予地震で倒壊した初代官舎の資材を利用して現在の建物が建てられる。
1945 占領軍が接収。司令官官舎として利用され、この間に白ペンキが塗られる。
1966 大蔵省から呉市に譲渡
1967 一般公開
1995 建築当初の姿に復元するための解体修復工事が完了
1998 国の重要文化財に指定

この建築の内装上の特徴は、明治期に流行した「金唐紙(きんからかみ)」(2)だ。占領軍に接収されていた間にペンキを塗られてしまったため、1991年にこの建物の復元作業を開始して初めて金唐紙が使われていることが判明し、建築当初の姿に戻すために金唐紙を新たに製造することになった。今見ることができる壁紙はそのときに作られたものである。
旧呉鎮守府司令長官官舎
Residence of the Commander-in-Chief of former Kure Naval Sta.
旧練兵場や旧下士官兵集会所、さらに旧海軍病院に囲まれた旧海軍エリアのただ中に建つ官舎。

#1:ファサード。大小二つの切妻にハーフティンバーが装飾的に使われている。

#2:洋館部分の応接室

#3
:食堂

#4
:金唐紙

#5
:和館との接続部

#6
:錨のマーク

#7:和館部分
[補注]
(1) 海軍は設立当初からイギリス式を直輸入したわけではないが、概観すればイギリスに範をとったものとなっている。ちなみに日露戦争で活躍した戦艦三笠もイギリス製である。
(2) 金唐紙とは…
17世紀のヨーロッパでは建築の壁、天井に装飾革を使用することがあった。装飾革とは革に金属箔を貼り、花や動物をデザインしてプレスし、塗料・ワニスなどで彩色して仕上げたもので、これが日本に伝わり「金唐革」と呼ばれて珍重された。その後革の代わりに和紙を使う方法が考案され、「金唐紙」が誕生した。明治期には輸出も含めて大々的に生産されたものの、大正以降はほとんど使われなくなる。金唐紙を使用した他の建築としては、「旧日本郵船小樽支店(北海道小樽市)」、「旧第五十九銀行本店本館(青森県弘前市)」、「旧林家住宅(長野県岡谷市)」、「東京芸術劇場(豊島区)」 がある。

[参考文献・サイト]
1) 日本建築学会(1998)「総覧 日本の建築 第8巻」新建築社 pp182
2) 広島県文化財協会「広島県文化財ニュース 第161号」

[見学ガイド] (入船山記念館)
・JR呉駅から徒歩13分
・休館日:月曜(ただし祝日・休日の場合はその翌日)および年末年始(12/29-1/3)
・開館時間:9時-17時
作成:2000/3/22 最終更新:2008/8/30
作成者:makoto/arch-hiroshima 使用カメラ:NikonD70
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