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広島県 INDEX
現世に出現した竜宮城。
DATA
■所在地:広島県廿日市市宮島町
■用途:神社
■竣工:
回廊 16世紀後期
本社本殿 1571年
本社幣殿、拝殿、祓殿 1241年
客神社本殿幣殿、拝殿、祓殿 1241年
能舞台 1680年
大国神社本殿 1571年
天神社本殿 1556年
大鳥居 1875年
■付近の地図(mapion)
A 客(まろうど)神社本殿、 B 客神社幣殿・拝殿、 C 客神社祓殿、 D 東回廊、 E 本社本殿、 F 本社幣殿、 G 本社拝殿、 H 本社祓殿、 I 高舞台、 J 火焼前、 K 楽房、 L 門客神社、 M 内侍橋、 N 朝座屋、 O 大国神社、 P 天神社、 Q 能舞台、 R 西回廊
厳島神社
Itsukushima Shrine
あまりに個性的で独創的、他に類を見ない古の大建築である。県内最高の文化遺産であるのはもちろん、国の観光ポスターにも度々登場しており、日本を代表する建築の一つとしても過言ではあるまい。
私はプロの建築史家ではないので、これら神社建築の体系的な解説は専門書に譲ることにして、ここでは厳島神社に対する私なりの見方を書いてみたいと思う。主観が大量に入っているのでご注意願いたい。
島 イコール 神

#1:大鳥居は参詣ゲートであり、社殿は島そのものを背負っている。背後に立ち上がっている山は「弥山(みせん)」という。
厳島(いつくしま)とは、「神を斎(いつ)き祀(まつ)る島」の意、つまり島イコール神というのが原点だ。まさにアニミズム。当初は神を傷つけないよう上陸は控えられ、まして建物が建てられることはなかった。人が住むようになったのは室町時代以降とされているので、今に近い形の社殿が建てられた平安末期はまだ無人島で海上の社殿だけが建っていたものと思われる。

なぜ社殿が海上にあるのかもこれで理解できる。つまり、神の体を傷つけないよう、陸地ではなく海上に建てたということのようだ(諸説あり完全には解明されていない)。

なお、宮島では林業が禁止されていたため、瀬戸内海では数少ない原生林が残った。この意図を汲み、ユネスコの世界遺産リストには社殿と弥山がセットで登録された。

#2:海上に浮かぶ社殿は竜宮城をも連想させるたたずまい。写真左側(北側)は「塔の岡」と呼ばれ、五重塔千畳閣がある。自然への畏敬に根ざしたアニミズムが薄れていくにつれ、このように島内に建物が建ち、人が定住するようになった。
平清盛の美意識

#3:東回廊。入口から入って客神社を過ぎ、180度ターンする。
現在の建築群は平安末期の最高権力者である平清盛の意向を受けてデザインされたものだ。後の鎌倉時代に火災で建築群の大半が失われたため、厳密には平安時代の建築は存在しないが、被災前の姿に忠実に再建されており、今見ることのできる建築群は平安時代の寝殿造りと言っても差し支えないと思う。

清盛は若き日を安芸守としてこの地で過ごしており、厳島への信仰が厚く、天下を取れたのも厳島のおかげという意識があった。そのため、厳島神社も最高権力者にふさわしい大建築とする必要があったのは想像に難くない。
だがそれだけでは、こんなに手間のかかる建築をこれほどの大スケールで建てた説明としては足りない。これは私の推測だが、平清盛は「海上にしか建てられない」という制約条件に逆に意欲をかき立てられ、この世のどこにもない美しい海上建築を建てて現世の極楽浄土を表現しようと試みたと思う。
そもそも寝殿造りは平安貴族の邸宅建築の様式のはず。それを神社に適用しようという発想自体がすごい。おそらく、寝殿造りにつきものの”池”と、この遠浅の海が清盛の中で結びつき、「この海上に寝殿造りで建てたら、すげぇ美しくなるぞ〜」とひらめいたのではないだろうか。

平家は武士でありながら貴族のような生活を好み、これが地方武士団の反発を呼んで滅亡の一因となったとされるが、その領袖たる清盛には相当な美の素養があったと推測する。厳島神社の建築群を見て私が感じるのは、「信仰」よりも「美」の視点だ。曲がりくねった回廊は、神社間をつなぐという用途があり、山津波とよばれる土石流から本社を守る(本社の代わりに壊れる)役割もあり、管弦祭での船の転回場を囲んでもいるが、あくまで主目的は訪問者がシークエンス(風景の動的な変化)を楽しむことにあったように思えてならない。

ちなみに、平安貴族の邸宅はちっとも残っていないので、むしろ本作によって寝殿造りのスタイルが今に伝えられているとも言える。
#4-7:客神社から本社にかけてのシークエンスは回廊の最大の見せ場だと思う。(画像をクリックすると拡大表示します)

#8:客神社から本社方向を見る。客神社と本社はサイズは違えど似た形をしている。両者の軸はほぼ直交しているが5度だけずれている。
#9-12:その他、回廊に沿って様々な見せ場がある。

#13:本社祓殿(奥に拝殿、本殿と続く)は寝殿造りのスタイルを色濃く留める。
8と108

#14:回廊を全部歩くと、「8尺スパン&板8枚」のセットが108回繰り返される。
実は厳島神社は「8」と「108」で構成されている。回廊の基本スパンは約2.4m(つまり8尺)で、その間に敷かれた床板は8枚だ(写真#14)。そして回廊の延長は約262mであり、108スパン(柱108本)あるという。そして、社殿の釣り灯籠も参道の石灯籠も108個であるという。 (ものの本に書いてあるだけでまだ自分で数えたことはない)
さらに、本社拝殿から大鳥居までは108間(けん)で、火焼前から大鳥居までは88間となっている。
ここまで8にこだわった原因は分かっていないが、例えば以下の説がある。

■日本において8は聖数であり大きさの象徴だから?
 …例えば「八百万(やおよろず)」など。
■漢字の「八」は末広がりで縁起がよいから?
■108は仏教で煩悩の数とされ、浄土思想に結びつけられた?
大鳥居

#15:干潮時にはこのように間近に見ることができる。
大鳥居の役割は他の神社と同様、参詣ゲートである。参詣者は船に乗ってこの鳥居をくぐり、神社にアクセスする。平安時代から鳥居はあったようだが、当時の形状は不明である。

鳥居は地中に固定されているのではなく、自重で建っている。確かに、地中には重量を支えるために無数の松杭が打ち込んであり、また鳥居の中には重量を増すための石が入れられているのだが、基本的に「ただ置いてある」状態であることに変わりはない。
立地条件から海水や風雨による腐食は避けられず、鳥居は頻繁に更新されている。現在のものは8代目にあたり(1875年再建)、クスノキの巨木が使われている。しかし現代ではこれほどの大木を国内で調達するのは困難であり、次の建て替えには問題を抱えている。
#16-19:大鳥居の表情。(画像をクリックすると拡大表示します)
宮島詣では続く…

#20:東回廊から大鳥居を見る。(壁紙配布中
厳島神社は天候・干満・時間帯によって全く違う表情を見せるので、1度や2度行ったくらいで魅力を味わい尽くすことはできない。平家一門が京都からここまで相当な回数通ったというのも分かる気がする。

私も子供の頃から何度も通ってはいるものの、デジタル一眼カメラを携えて行ったのは僅か3回であり、ここに掲載した写真から分かるように、「真夏・快晴・満潮・正午」「春・曇天・干潮・午後」「春・黄砂・干潮・夕方」の3パターンしか撮れていない。これからも通うことになるだろう。
今狙っているのは、「快晴・満潮・夕方」の条件で、古の習慣にならってシーカヤック(カヌー)で満潮の大鳥居をくぐりながらの撮影だったりする。

#21:ただ静かに、瀬戸内海の夕暮れを愛でる。
[参考文献・サイト]
1) 日本建築学会(1998)「総覧 日本の建築 第8巻」新建築社 pp212
2) 中国新聞社(2006)「世界文化遺産の島 宮島を楽しむ 改訂版」

[行き方ガイド]
■船1: 宮島口から連絡船(JRフェリーだと大鳥居に接近するのでおすすめ)に乗り10分ほどで宮島桟橋。宮島桟橋から厳島神社までは徒歩15分ほど。
■船2: 原爆ドーム付近から宮島桟橋に向かう連絡船がある。便数が少ないので、あらかじめ時刻表を調べておくこと。
■船3: 広島港(宇品港)からプリンスホテル桟橋を経由して宮島桟橋に向かう連絡船がある。これも便数が少ないので注意。

[見学ガイド]
事前に観光協会のサイトで情報をチェックしてから行くようにしたい。
・開門時間:6:30 閉門時間:17:00から18:00(季節により異なる) 年中無休
・入場料:300円
・日没後にライトアップあり
・あらかじめ干満の時間帯を調べておくことをすすめる。
作成:2001/8/20 最終更新:2011/5/22
作成者:makoto/arch-hiroshima 使用カメラ:Nikon D90
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