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岐阜県 INDEX
第1回学会賞受賞作は、地域密着型の”小品”でした。
DATA
■設計:谷口吉郎
■所在地:岐阜県中津川市馬籠4256-1
■用途:資料館
■竣工:1947年(昭和22年)
■延床面積:
■構造:
■付近の地図(mapion)
馬籠(まごめ)宿は、文豪 島崎藤村の出身地であり、その小説世界の中心にある、重要な地である。隣の妻籠(つまご)宿(1)が「最強の伝建」なのに対して、こちらはとても居心地が良い住宅地という印象だ。藤村の生家は馬籠に建つ本陣(2)であったが明治28年の大火で焼失してしまった。その本陣跡に昭和22年に建てられたのがこの記念堂である。

では、藤村記念館に入ってみよう。まず、正面の入口には冠木門(ここが本陣であったという土地の記憶を残す・
#2)があり、その奥には土塀が見え、庭への視界を遮っているる。土塀の左手には老木があるので、訪問者は自然と右を向くことになり、そこには記念館の建物が口を開けて待っている。こうして反時計回りの動線が自然に形成される(#3)。 …ということになっているが、実は入って右側にチケットブースがあるので、左に進むとおばちゃんに怒られる(笑)。この自然な動線も、言われないと気付かないほど自然である。

谷口は、本陣の焼け跡には敢えて手を付けず庭とし、敷地の隅に細長い建物を建てた。
建物の中に入り周囲を見回すと、下半分が吹き抜けになった壁に気付く。足下には池の水面を見ることができるしかけだ
(#4)。 さらに戸をくぐって、本堂に入る。とても質素な造りだ。ベンチにこしかけると、本陣跡を部分的に眺めることができる(#5)。障子に施されているのは、もちろん島崎家の紋章だ。
この後、敷地はさらに北側に続いている。この記念堂は資料館としてはほとんど役に立っていないため、別に展示室が設けられている。そちらを見、庭を見ながらエントランスに戻ってきて、見学は終了となる。

谷口は、使用する建材や建物のスケールに関して、できるだけ地元民家の作法に従わせ、周囲に溶け込ませようとした。施工にあたったのは村人たちであり、図面を見るのも初めてという素人集団であったが、蓄積された民家のノウハウが使えたので、作業は幾分楽になったという。これはもちろんこの建築が建てられた当時(1947年)の時代背景からやむを得なかったためだが、たとえ谷口が今この建築を設計したとしても地場の建材を選んだだろうと私は思う。本人の言葉を引用すると…

---あの記念堂はあの村の人の手仕事によって作られたということが特色です。これは他の建物と非常に違う点です。外国でいうと、山の中で小さい教会堂を作るようなものですね。外国の教会は神に捧げたんですが、藤村記念堂は藤村の詩に捧げられたものですから、造形もまた詩でなければいけないんです。---
(谷口吉郎著『建築に生きる』より)

民家のルールに従った建物ではあるが、これは周囲に埋もれるただのハコではない。れっきとした「建築作品」である。実用性と作家性のバランスを見ると、やはり作家性が勝っている。作家性が勝るとはどういうことかというと、

■建築鑑賞が主で資料展示が従である。
■藤村のことを知るというよりは、谷口の「藤村観」を伝える場になっている。


…ということだ。私はもう少し作家性を押さえた方が良いと考えるが、建築をやる人は一般的に作家性が強い方を好むから、私とは全く意見が違ってくるだろうと思う。

小品だが見応えはあった。馬籠・妻籠とセットで訪れることをおすすめしたい。


[補注]
(1) 江戸時代に栄えた宿場町の一つ。鉄道の開通によって急激に衰退したため江戸の街並みがそっくり保存された。今盛んな街並み保存運動の先駆けであり、伝建(伝統的建造物群保存地区)制度につながった。保存と修景のバランスは絶妙で、「まるで江戸時代にタイムスリップしたかのよう」といった陳腐な表現が、この地にはふさわしいと思える。
(2) 宿場には、身分の高い客人を迎える宿として「本陣」「脇本陣」が置かれており、馬籠の本陣は島崎家に任されていた。妻籠では脇本陣が現存しており、一見の価値がある。

[参考文献・サイト]
1) 藤村記念館ウェブサイト
藤村記念堂
SHIMAZAKI Toson Memorial Hall
世の中には、ごくまれに天才と呼ばれる人種が出現する。天才とは、既存のルールを破壊して新たな秩序を構成する、まさに天が遣わした救世主だ。芸術家たちは思いこみが激しいせいか、私こそが救世主と思う人が多いようだが、えてして彼らの作品は破壊ごっこに終わり、既存の景観を壊したいだけ壊して何も残さないケースが多く見受けられる。
私は、自分が天才ではないことを自覚し、変な夢を見ることなく、施主の意向や地霊に配慮し、「普通だけどちょっといい建物」を残す建築家の方が好きだ。東工大建築学科を率いた谷口吉郎(1904-1979)はそういった建築家の一人だと思う。中山道沿いの宿場町馬籠に建つ藤村記念堂は、谷口の傑作の一つとされ、これと慶應大学校舎(4号館および学生ホール)で第1回日本建築学会賞を受賞している。

#1:藤村記念堂。特に奇抜な造形ではない。

藤村記念館のうち谷口が設計した部分
(1冠木門 2柿の木 3土塀 4池 5本堂 6庭(本陣跡) 7至展示室・収蔵庫)

#2:エントランス

#3:土塀によって動線は反時計回りになる

#4:足下だけ空いている。

#5:本堂から庭を眺める

#6:本堂の内部

#7:展示室を見た後、再び庭に戻ってくる

#8:庭と本堂と土塀の位置関係

#9:本堂(背後にある民家は無関係)
作成:2003/7/18 最終更新:2003/11/15
作成者:makoto/arch-hiroshima 使用カメラ:CanonPowerShotG3
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