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関東では数少ない伝建地区。(*1) 個々の建物は逸品だが、街としての厚みはやや不足か。 |
佐原の成り立ちと伝建について 東京から70キロ、利根川から少し入った内陸に位置する小都市。 佐原発展のきっかけは利根川の東遷事業(1594-1654)とされる。徳川家康の命により、60年かけて東京湾に注いでいた利根川が太平洋に付け替えられた。これにより利根川は江戸と東北を結ぶ重要な物流ルートとなり、また流域には一大穀倉地帯が形成された。つまり佐原は利根川を行き交う船舶の「中継地」であると同時に、近隣村落で生産した物資をまとめる「集積地」でもあった。 戦後、高度成長の過程で衰退していく中で古い街並みが見直されるようになり、1974年に文化庁補助事業による町並み調査、1991年「佐原の町並みを考える会」発足、1996年伝建地区指定となって現在に至っている。 佐原の伝建地区は小野川と旧街道に沿った一帯に広がっており(左の地図を参照)、さらに伝建地区の外側に景観条例による「景観形成地区」が指定されている。景観形成地区では伝建ほど厳しく指導されないものの、事前協議と届出なしに建築確認は下りない仕組みになっており、いわば伝建と一般市街地とのバッファーという位置づけになっている。他の都市でも多用される手法だ。 では肝心の街並みのレベルはどうかというと、”中の上”といったところ。確かに個々の建物には素晴らしい”逸品”があるものの、群としての魅力は今ひとつな気がした。私の場合は隈無く見て歩いたけども、普通の観光客なら30分もあれば十分だろう。 |
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佐原 重要伝統的建造物群保存地区 Sawara |
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#1:街並み愛好家なら(たぶん)誰でも知ってる「正上醤油店」。店舗は江戸後期(1832年)で蔵は明治初期の建築。門かぶり?の松や小野川との調和も見事で、佐原を代表する逸品。 |
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#10:小野川のリバースケープはこういう感じ。確かに普通の街よりは良いけど、伝建というほど古い建物が集積しているわけではない。太い柵は結構気になる。 |
リバースケープについて 小野川は水面が低いため転落防止の柵を設置せざるをえないのはいいとして、この柵がちょっと”うるさい”。土木屋さんは「強度も確保し、景観に配慮した立派な柵」と胸を張るかもしれないが、よくある”セメント偽木”の範疇を出るものではなく、とても素晴らしいと評価できるレベルではない。 そう言えば、リバースケープが魅力的な他の伝建地区(下記)には柵がない。これらは護岸の下に小段(犬走り)が設けられており、水面が近く柵が不要だったためだと思うが、逆に柵がいかに邪魔であるかを再認識させられた気がした。 |
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商業地の栄枯盛衰 佐原に行くと、三つの商業地を見ることができる。現在の商業中心である「ロードサイド型商業地」、一世代前の商業中心である「衰退した駅前商業地」、二世代前の商業中心である「観光地化された川沿い商業地」だ。 かなり初歩的な内容ではあるが、あまりに典型的だと思ったので図にしてみた(下の囲み記事)。 |
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#11:忠敬橋近くの店舗群。商業の中心が駅前に移りさらにロードサイドに移ったとはいえ、老舗は生き残っている。 |
上の囲み記事では、鉄道開通に伴って川沿い商業は衰退したかのように書いたが、実際には踏みとどまって営業を続けている老舗も多い。蕎麦屋(写真#11の右から3軒目)は蕎麦屋として、家具屋(写真#4)は家具屋としてちゃんと商売をしている。 とはいえ、このエリアを歩いている客層の主体が地元住民から観光客にシフトしつつある以上、やがては観光客向けの店に変化していかざるを得ないように思う。 |
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「空港宿場町」で売ってみてはどうか 佐原は東京から2時間もかかるため、池袋から30分で行けてしまう川越のような「週末プチ観光地」路線は取れない。佐原のキラーコンテンツはやはり伊能忠敬(*3)であり、既に立派な記念館もある。だが「地図のまち」として売り出すには地図を産業化して稼ぐビジネスモデルを構築できなくては意味がないわけで、その意味でまだパワー不足だと思った。 私の活性化案は(当然誰かが考えていると思うけども)、 成田空港から比較的近い立地条件を活かして、外国人をターゲットに「出国する直前の宿泊地」として売り出す方法だ。歴史的建築でありながら修理もままならない空き家や店舗の趣を残しつつ旅館に改装し、外国語対応窓口を置き、成田空港へのバス路線を設けてきちんと宣伝すれば、一定のニーズをつかまえられるはずだ。 観光地にとって日帰りと宿泊では経済効果に決定的な差がある。この場合は宿泊が前提なので相応のお金が地元に落ちるし、土産物屋・体験工房・飲食店などの集積を促す効果が見込める。さらに土産物の生産業などの相乗効果までもっていければ立派な地域浮揚になる。 |
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[補注] (*1) まず自治体が「伝統的建造物群保存地区」を条例化して指定し、それを国が「重要伝統的建造物群保存地区」に指定する。都市計画というよりは文化財行政の一環なので、所管は文化庁。景観協議を経なければ建築確認に進めないので、実効性のあるデザインコントロールが可能。例えば近江八幡の「かわらミュージアム」は伝建の制約下での新築事例として有名。今の日本国内で建物の意匠という主観的なものを有効に(抜け道なしで)制限できるのは伝建地区と景観地区の二つと考えていい。ちなみに2006年現在、関東の伝建は「佐原」「川越」「赤岩」の三つしかない。近現代の東京圏のスプロールが全てを飲み込む凄まじいものだったということがよく分かる。 (*2) 当時鉄道が迷惑施設と見なされていたのと、短期間に用地を買収する必要があったため、鉄道は中心商業地から離れた場所に敷設されることが多かった。 (*3) 伊能忠敬(1745-1818) 上総国山辺郡小関の生まれ。18歳で婿養子として佐原の商家である伊能家に入り、商才を発揮して家を再興、財を築く。50歳で隠居してから江戸に出て本格的に測量を勉強する。当初は私財を投じて測量を始め、後に幕府の支援を得て高精度の日本地図を完成させる。 [参考文献・サイト] 1) 小野川と佐原の町並みを考える会(2001)「佐原の町並み〜重要伝統的建造物群保存地区概要〜」 2) 全国伝統的建造物群保存地区協議会 公式サイト 3) ウィキペディア「伊能忠敬」 4) 水郷佐原観光協会 ウェブサイト [行き方ガイド]
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