若胡子屋跡

不詳 18世紀

#1

御手洗は江戸時代に瀬戸内海中央部を抜けていく「沖乗り航路」が開拓されたことで新たに潮待ち・風待ちの港として発達した。船が停泊するようになると遊郭も多く立地するようになったが、その多くは安芸ではなく周防の上関の遊郭が広島藩の許可(*1)を得て”出店”する形であった。本作もその一つであり、1724年に営業を始め、遊女100人を抱える御手洗最大の遊郭であったと伝えられる。
その後、1885年には寺院として使われるようになり、さらに地域集会所へと転じ、現在は展示施設となっている。もとは二階建てであったが、寺院に改造する際に二階の床を撤去し、吹き抜けのあるホール状の空間となった。これが建築構造には大きなマイナスとなり、現在はゴツい鉄骨を入れて構造補強する見苦しい状態になってしまっている。