多家神社(埃宮)

不詳 17世紀

安芸郡府中町は、かつて安芸国府があったといわれる由緒ある地だ。多家(たけ)神社は埃宮(えのみや)とも呼ばれ、古事記にも記載がある古い神社であるが、後に所在が分からなくなり、江戸時代には「松崎八幡宮」「総社」の氏子がそれぞれ多家神社を主張する事態となった。そのため1873年(明治6)に両者を合わせて現在地に多家神社として創建された。社殿は、広島城三の丸にあった稲荷神社を移築して使用した。本殿・拝殿は後に焼失し1922年に再建されたが、宝蔵は焼け残り、江戸時代の姿を今にとどめている。
どの建物も見ごたえがあるが、特に注目したいのは宝蔵だ。奈良の正倉院と同じ校倉造(あぜくらづくり)であり、柱ではなく壁全体で屋根を支えている。壁を構成する部材(校子という)は、断面が三角形(正確には五角形)なのが通例であるが、本作では四角形(正確には六角形)であり、現存する国内唯一のものとされる。屋根は厳島神社でもおなじみの檜皮葺(ひわだぶき)。
旧広島城にあった建物をこの目で見られるだけでも価値があるが、建築のグレードも高い。広島市内からバスで容易にアクセスできるので、ぜひ訪問されることをおすすめする。