瀬戸田の街並み

不詳

#1:県内有数の商家である三原屋(堀内家)

瀬戸田とは、海峡だった一帯を場所を埋め立てて耕地化したことに由来するとも言われる。少なくとも室町時代には港町ができていたらしく、県内の港湾都市の中でも尾道に次ぐ長い歴史を持つ。戦国末期に小早川隆景が三原城を築くと、その外港としての役割も担ったようだ。江戸時代は製塩業や海運業で栄え、海岸線に沿って豪商の邸宅や蔵が並んだ。沖乗り航路が開拓されると、北前船は瀬戸内海中央部を通るようになったが(この変化で急速に発達したのが御手洗)、瀬戸田は沿岸諸都市を結ぶ航路の拠点港として、また荒天時の待避港として存在感を持ち続けた。

古い街並みは、海岸に沿った一帯とそこから東側へ延びていく一帯に残っており、T字を描いている。塩田の消滅にともなって町は衰退していったが、昭和になって耕三寺が建つと、港から東へ延びる一帯は参道として賑わいを取り戻した。だがその賑わいも徐々に減っていくところに架橋による人流変化が追い打ちをかけ、今ではひっそりとしている。
また、水際にあったはずの石積み護岸などは失われている。現在の防潮堤は”景観に配慮しました”っぽく作られてはいるが、これが土木屋の感性の限界なのか、決してほめられたものではない。

周辺には向上寺潮聲閣などのスペシャル級の建物もあり、木造旅館も健在なのだが、町家の保存・活用の動きはほとんど見られず、訪問するたびに古建築が減っていくのは寂しい限り。まずは無機質な化粧材を取り払って、町家本来のファサードを取り戻す復元工事から始めてはどうだろうか。