ひろしま・パーク・レストルーム

小川文象/FUTURE STUDIO 2009-

広島市内の公園で公衆トイレを整備するプロジェクト。設計者はコンペで選定され、同形の上屋(*1)が各地の公園に整備されつつある。とりあえず吉島公園と日生西公園の二箇所を見てきたので感想を記しておきたい。なお写真#1-4は吉島公園、写真#5-6は日生西公園である。

公衆トイレに求めるもの

このような公共性の高い(特定の施主がいない)プロジェクトでは、建築家には須らく社会・公共を意識した提案を求められる。そもそも既存の公衆トイレへの不満とは何だろうか?…と素直に考えてみると、

(a)車椅子や高齢者が使いにくい
(b)薄暗く、不審者が潜んでそうで怖い
(c)清潔さが保てておらず使う気になれない

の三点が思いつく。つまり、今回のプロジェクトにおける実用性とは、

(A)誰でも使いやすい構造(ユニバーサルデザイン)であること
(B)明るく、見通しが良く、不審者対策が施されていること
(C)容易に清潔さを保てること

となる。

北を向いた三角形のボリューム

#1:頂点は北を指す。

コンペにより選定されたプランは、三角形のボリュームとしてその頂点が北を向くというものだった。壁も傾斜しているので、外観での印象と比べて内部は広く感じられる。(写真#3~5)
どこにでもある見慣れた公園に、異質なボリュームが入れ込まれている(写真#1)のだが、奇抜な中にも秩序と安定感を感じさせるデザインであるためか、外観を見る限り決して不快ではない。また、真北を向いているので、建物全体を大きな日時計として使えるのも目新しい。「影がこのあたりに来たら家に帰る時間」 という使い方もできそうだ。
これら、造形から来ている価値は上記(A)~(C)には当てはまらない、「プラスアルファ」の要素、すなわち作家性が現出したものと言えよう。作家性と実用性のバランスにおいて作家性に偏っているが故に実現できたと考えられる。これはコンペならではといえる。

白い床

#2:白く保つ難しさは現地を見れば分かる。

一方で、作家性に偏ったゆえのマイナス面も指摘せねばなるまい。その最たるものは「床が白くて汚れが目立つ」ことだ。特に私が訪問した吉島公園のトイレは土汚れで使うのをためらうほどであり、これでは「公衆トイレへの不満」を解決できておらず、上記(C)が未達成となる。計画地周辺は未舗装なのだから床が土で汚れることは当然予期できたはずで、作家性を優先しすぎて実用性が置き去りになっているのは残念でならない。
この場合、例えば床の仕上材を土に近い素材(テラコッタ系のタイルでもいいかも)にして目立たなくするとか、むしろ床だけでなく壁の仕上げにも土を使って「大地から三角形のボリュームが生えてくる」ような表現とする方法だってあった。設計者は白イコール清潔感と考えたのかもしれないが、それは白が白く保たれた場合であって、公衆トイレの管理実態をもっと見聞すべきだった。これはファッションビルではないのだから。

もちろん、作家性のかけらもない普通の公衆トイレと比べれば別格の出来栄えであることに変わりは無いし、限られたボリュームで都市のスケールを想起させるという作家性を与えるために三角形プランを選んだのも上手いと思う。それに、設計入札(デザイン能力ではなく料金が一番安い者に設計を任せてしまう)という悪しき慣習への反発も込めて、こういった作家性を重視した公共施設は応援したい。…それだけに、とにかく土で汚れた床が残念だった。

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