坪井漁港防波堤

舞鶴海軍工廠? 1943

[注意] 防波堤として使用されており見学は可能ですが、足元が悪く手すりなどもありません。見学はあくまで自己責任でお願いします。万が一何らかの事故に遭遇したとしても当サイトは一切の責任を負いませんのでご注意ください。


日本海軍にとっての第二次大戦とは、南方の資源を内地に輸送するシーレーンを巡る攻防であったと言っていい。ところが当の海軍はシーレーン防備の意識が薄く、世界有数の量と質を誇った日本の商船隊は消耗し尽くされ、最後は船を動かす石油すら無くなって終戦を迎えることになる。 …というエピソードはさておき、そんな熾烈な海上輸送戦を物語る遺構が広島県内(安浦と坪井)に残っている。
音戸町坪井の漁港に古い防波堤がある。これは戦時中に海軍が建造したコンクリート製被曳航油槽船(*1)を、戦後この地に据え付けたものとされる。「被曳航」とあるように、エンジンは積んでおらず、他の船に引かれる想定で設計されていた。船というよりも海に浮かぶ石油タンクといった方が正しいかもしれない。 鉄がないから、しょうがなくコンクリートでつくったものであり、船としての実用性は低かったようだ。ただ、コンクリート製だったがゆえに、防波堤という形で貴重な大戦時の船体(*2)が現代に残ることになった。
このコンクリート船、造形物としても興味深い。よく見てみると、へさきが異様に上に飛び出ていて、舷側(船の側面)は真っ直ぐではなく下部が突き出ている。船というよりは潜水艦に近い形状だ。これは推測だが、へさき以外は海中に沈むように設計されたのではないかと思う。重いコンクリート船に油を満載すれば沈んでしまうのは当然だし、エンジンを積まないなら吸排気も不要だから、船体の大部分を沈めて水面の抵抗を極力小さくするのは理にかなっている。