旧大浜埼船舶通航潮流信号所

不詳

因島(いんのしま)北端、大浜埼に残るかつての信号所。船舶向け信号所は各地に建てられたが、当時の木造建屋がそのまま現存するのは本作が唯一であり、極めて貴重な存在となっている。

瀬戸内海航路の整備

#1

瀬戸内海を東西に進む主要航路は来島海峡であるが、来島海峡は潮流が極めて速い世界的な難所であり、エンジンの貧弱な明治時代の船では航行が難しいケースもあった。そのため、比較的潮流の緩い三原沖を回る迂回用の航路を設けることになり、1894年には大浜埼灯台などが整備された。ところがこの航路は幅が狭かったため交通量が増えると海難事故が多発するようになり、航路の状況を船舶に伝えるための信号所を追加整備することになった。こうして1910年に建てられたのが本作である。後に船の性能向上により来島海峡を航行できるようになるとこの迂回路は存在意義がなくなり、1954年に信号所は廃止となった。余談だが、大浜埼灯台は信号所が運用されている間は休止しており、信号所廃止の1954年から再稼働しているという。

信号所のしくみ

#2:対岸から撮影

上述の通り、明治時代の船は船足が遅くレーダーもないため、海難事故を防ぐには早期に海峡の状況を知る必要があった。本作の役割は、向島(むかいしま)と因島(いんのしま)の間を抜ける布刈瀬戸を行く船舶の状況を他の船舶に伝えることにあり、見張所での目視や他の信号所からの連絡を受けてレバーを操作し信号を出していた。信号は三種類あるため建物は三つの塔を持ち、建物本体は目立たないよう黒く塗られている。昼間は塔に「○」「△」「□」の印を出し、夜間は塔からの発光信号により船舶に情報を伝えていた。照明は当初はランプであったが1926年に電化された。

なお、潮流の向きを知らせるための潮流信号機が本作の横にあり、使用されていないものの現存している。また、隣接地に検潮所だった建屋も現存する。これは布刈瀬戸の潮流の方向や変化する時期を調べるための施設で、1954年まで使われていた。

信号種類西行船に対して東行船に対して
第一種高根島、小佐木島間において東方に航行する船あり外梶埼以東において西方に航行する船あり
第二種小佐木島、細島間において東方に航行する船あり外梶埼以西において西方に航行する船あり
第三種高根島、大久野島間に帆船群走す細島、高根島間に帆船群走す