中野の街並み

不詳

#1:立派な長屋門を備えた農家

島に生きた人々は、様々な制約条件の中で時代に応じて自在に生き方を変えてきた歴史を持っている。江戸時代の人口爆発や、戦後の高度成長期により全島が耕地化され、自然林が消滅した島も多い。土地が限られているだけに、人間活動の結果が極端に現れる傾向があるように思う。
瀬戸内海の島々は雨が少なく日照時間が長い、柑橘類に適した気候だ。江戸時代に島の経済を支えたのは製塩業や海運業であったが(その象徴が瀬戸田)、丘陵地では当時から柑橘栽培が始まっていたらしい。中野はそんな柑橘栽培を象徴する農村といえる。現存する家々の建設年代は明治~昭和戦前期と推測する。
丘陵地の農村なので、街並みというよりは、ポツポツと家がある程度なのだが、驚くことに長屋門を持つ家がやたらと多い。長屋門とは、武家屋敷の門と家臣の家とが一体化したものを起源とし、江戸時代に農家が持つのはNGだった(庄屋などは例外)。明治維新を迎え身分制がなくなった後も、建てるにはかなりの財力が必要で、ステータスシンボルであり続けた。それが狭い範囲に密集しているのは、この地が柑橘で大繁栄したことを物語っている。
建築ファンなら、瀬戸田や耕三寺のついでに立ち寄ることをおすすめしたい。