広島市環境局中工場

谷口吉生 2004

工場が建ち並ぶ吉島(よしじま)地区の突端、河口の埋め立て地に建てられた清掃工場。著名な建築家を起用し良質な公共施設を整備するプロジェクト「ひろしま2045:平和と創造のまち(*1)(以下、P&C事業と表記)」として計画されており、作家性を強く押し出した建築に仕上がっている。

ゴミ処理場に見える外観

#1:中工場の外観。必要なボリュームを隠さず素直に表現したフォルム。建物を貫通したエコリアムが飛び出してきている。

#2:フンデルトヴァッサーが外装デザインを行ったウィーンの清掃工場

まず本作の外観から。雑誌記事から建築家の言葉を拾ってみる。

設計を始めるときには、私は同類の施設を可能な限り多く見て回るように心がけています。-(中略)- そこで他の施設を見てみると、外観をいろいろなデザインで工夫をして、ゴミ焼却施設には見えないように隠している建築が多くありました。しかし私はこれも現代の都市に必要な施設のひとつとして、外部は意図的に工場をそのまま表現し、内部に何か公共的な空間をつくり、都市施設としての価値を高めようと思いました。
(雑誌「新建築」2004年7月号pp37より引用)

確かにNIMBY(*2)施設の嫌悪感を解決するために多く取られてきたアプローチは、外装を化粧してごまかす方法であった。この最も極端なケースはフンデルトヴァッサーが外装を手がけた清掃工場だと思う。
一方、本作のゴミ処理施設として求められるボリュームは巨大で、計画地は埋立地だから地下化も難しく、隠しようがない。都市における存在感はどうしても大きくなるのだから、逆に隠さず「ここに清掃工場があるよ」とアピールする方法もあるのではないか、と谷口は提案している。環境負荷が少なく悪臭も発生しない最新鋭の焼却装置によってこの提案は見事に実現した。ゴミ焼却施設を美しく演出し見せることで「ゴミ焼き場」というネガティブイメージを払拭することに成功しているだけでなく、「人間が生活することとは即ちゴミを出すことで、清掃工場は都市に必要。NIMBYだと言わずに一度よく見てみようよ。」という当然かつ大切なメッセージを発信している。

意識変革を促す空間表現

#3:エコリアム。稼働中の焼却装置を鑑賞する美術館のような空間。

本作のシンボル空間となるのがエコリアムだ。清掃工場の大ボリュームを貫通する幅5m高さ4.5mのガラス張りのアトリウムであり、Ecology + Atrium = Ecorium でエコリアムと命名された。
来訪者はガラスとウッドデッキで構成されたチューブの中に身を置き、そこからは稼働中の焼却装置を眺めることができる。騒音も悪臭も出さない焼却装置は独特の機能美を放ち、それが本物であることの説得力も伴って、良質な現代アートのように見えてくる。ニューヨークMOMAを始めとする多くの美術館を手がけている建築家谷口吉生は、こうして清掃工場をみごとに美術館に変えてしまった。
エコリアムの一応の機能は施設見学通路であり、「清掃工場について学びましょう」的な展示はあるものの、そんな実用性は吹き飛んでしまうほど作家性が強く出ている。例えばゴミ収集車のカットモデル(写真#7)は、それを見て収集車の構造を学ぶというよりは、現代アートとしての色が濃く、見る者をハッとさせるインパクトがある。ごみ行政への認識を新たにしてもらうという啓蒙活動において、クドクド語るよりも、こういったインパクト一発勝負というのも悪くない。
私の解釈では、建築家の狙いは来訪者に新鮮な驚きを与えることによって市民のゴミに対する意識の転換を図る点にあるのだと思う。それを空間デザインによって達成しようというのは、まさに公共建築の一つのあるべき姿ではないだろうか。

軸線の表現

#8:吉島通りの延長線上にエコリアムがある。

#9:エコリアムから海方面を見る。

本作の敷地は平和記念公園前から南へ延びていく吉島通りの先端にあり、エコリアムは通りの延長線上の2階レベルにある。エコリアムから海側を見れば河口部の風景が、陸側を見れば広島のビル群が目に入ってくる。この「軸線の表現」は丹下健三のピースセンターへのオマージュと解釈できる。丹下研究室出身の谷口としてはぜひ広島で「軸線の表現」やってみようと考えたはずだ。

平和記念公園には丹下健三先生の「広島ピースセンター」がありますが、そこから伸びる吉島通りを海の方に延長したところにこの敷地があります。つまり広島の重要な都市軸に乗っている場所で、都市から海へ続く景観の境に敷地があります。そこで私は吉島通りを延長して、海へ通り抜ける空間を敷地に作ろうと思いました。このような発想は、設計のかなり初期の段階から考えていたものでした。
(雑誌「新建築」2004年7月号pp37より引用)

ここにもう少し個人的な解釈を加えてみる。エコリアムは広島都心部と瀬戸内海の中間、すなわち都市と自然の境界線上に位置している。それと同時に、エコリアムは清掃工場のただ中にある。つまり、都市と自然の双方を遠望しながら焼却装置を眺めることで、清掃工場が都市から出てくる廃棄物を自然に戻す役割を担っていることを直感的に理解できるようにしているのではないだろうか。
そう考えると、この軸線の表現は、単に吉島通りという都市軸に合わせたというだけでない、重要なメッセージを帯びてくる。

ぜひ施設内部見学を

事前に予約しておけば、エコリアムよりさらに内側、工場内部も見学できる(写真#10-14)。こちらはエコリアムとは違ってコンクリートの重量感溢れる空間となっている。本作のデザインの本質は、建築設計と設備設計の整合を取っていくところにあり、かつ苦労の耐えないところであったに違いない。エコリアムではほぼ破綻なくまとめられているものの、見学者通路の一部ではガラス張りなのにキャットウォークが邪魔をして設備を見ることができない箇所もあった。

これは2045年まで残るのか?

#14:展望テラスも内部見学時に訪問できる。

気になることもある。この種のガラス&メタルな建築は年月を経ることで味わいが出てくるかは疑問で、竣工当初の美しさをいかに保つかが勝負になると思われるが、本作は臨海部であり、いくら塩害対策をしてあるといっても、管理を怠れば無惨な姿になりかねない。(今のところは適切にメンテナンスがなされているようだ)
もう一つ。本作のボリュームは焼却設備のスペックで決まっている(と思われる)のだが、この種の設備は日進月歩であり、長期間稼働ししかも環境に関わるものであるため、20~30年で更新される可能性が高い。その際に、設備だけを入れ替えるよりも、建物ごと壊して作り直した方が合理的という判断がされてしまうと、せっかくの建築が短期で失われかねない。
この二つの疑問は、本作がP&C事業の主旨である「2045年になって評価される良質な公共建築」なのかという点に引っかかる。2045年にボロボロになってしまうようではいけないし、2045年までに取り壊されるようではお話にならない。まだ先の話だけども、やはり気になる。

とはいえ、シンプルな造形の中にこれほどまでにメッセージを埋め込めるのかと驚かされる空間表現を持つ本作は、今や広島における屈指の名建築であり、おそらく世界一美しい清掃工場であろう。建築に興味があるなら訪問して損はないので、しっかり時間を作って見に行ってみて欲しい。また、建築にそれほど関心がなくても、水辺の開放的な緑地もあるし、駐車場も完備しているので、家族連れでふらりと訪れるのにもぜひおすすめしたい。