三高山砲台跡

不詳 1901

日露戦争直前に建設された広島湾要塞における最大規模の砲台跡。現在は公園として整備されている。広島・呉へ向かう大型船の航路は那沙美瀬戸に限られるため、海峡沿いの三高山、大奈佐美島、岸根鼻、鶴原山、鷹巣に砲台が築かれ、十字砲火を形成してロシア艦隊に対抗することが意図されていた。もっとも、日露戦争の経過はよく知られた通りであり、これら砲台群は実戦を経験することなく廃止された。
デザインは同時期に建設された他の砲台と同様。当時はRCの技術が普及しておらず、もっぱら石やレンガ(現地案内板によると播州煉瓦という)が使用された。コンクリートも見られるがおそらく無筋と思われ、組積造と同じ要領でアーチにして加重を受けている。上に被せた土はカムフラージュと敵弾避けを兼ねたものだろう。なお室内は湿度維持の役割も兼ねて漆喰仕上げとなっている。