三原 本町・西町の街並み

不詳

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現在の三原市本郷町にあたる沼田川(ぬたがわ)沿いの一帯は沼田荘といい、安芸国でも有数の荘園であった。その地頭として赴任し定着したのが小早川氏である。同じく安芸国吉田の国人であった毛利元就は三男隆景(たかかげ)を小早川家当主として送り込み、小早川氏の領地や水軍を吸収、戦国大名へとのし上がっていった。
小早川隆景は沿岸部に新たに三原城を築城して居城とした。現在の三原城は陸地に囲まれているが、当初は直接海に面しており、軍港という役割もあったようだ。なお、西国街道が城下に引き込まれ、町と呼べるものが形成されたのは江戸時代に入ってから(隆景の死後)であり、現在の東町・本町・西町がそれに該当する。もともと平地が少なく、山と城郭に挟まれた立地のため拡張もできず、町人街は街道に沿って細長くならざるをえなかった。
さて、それら旧市街の現状は極めて厳しい。中には重厚な蔵造り(広島県内ではあまり見かけない)もあるものの、多数が空家となり傾きつつある。近代化の過程で城は失われたが、鉄道や国道が海側に建設されたことで旧市街は破壊を免れたはずであり、戦災にもあっていない。手を打っておけば竹原なみには残せたはずで、こうなってしまったのは残念でならない。
とはいえ、山麓に建つ宗光寺などの寺院群は健在で、魅力的な小路もあり、ふつうに散歩するなら楽しいエリアだ。活力を失った三原を少しでも浮揚させるには、この旧市街の再生こそがカギになるといえそうだ。