呉

arch-hiroshima SELECTION 30

旧海軍ゾーン

呉軍港の建設
江戸時代は小集落がある程度だった呉は、1886年に海軍条例を公布した明治政府が海軍鎮守府を置いたことで急速な発展が始まる。1888年には主要施設が完成し、あわせて都市の建設も始まった。
呉が選ばれた理由は、まず(当時の軍艦からは)守りやすい地形だったことにある。呉港に入るルートは4つの狭い海峡のみで防備を固めやすい。また、人家が少なく用地買収が容易なのと、平地が少なく機密保持に向いていたことも評価されたと思われる。現在のJR呉線から海側が旧海軍用地であり(日新製鋼から海上自衛隊を経て大和ミュージアムあたりも)一般人は入れず、列車や船内でも監視の目が光っていた。
呉の基本的な都市骨格やゾーニングは今も残り、横須賀や佐世保と比べても、近代日本の軍港都市の面影が比較的保たれている。

呉市街地