平和の門

ジャン・ミシェル・ヴィルモット 2005

平和大通りの緑地帯に出現したアートワーク(芸術作品)。鑑賞される以外の機能はなく、実用性0%作家性100%の特殊な建築とも言える。

インターナショナルな場所

#1:15mmの強化ガラスにセラミックプリントで文字が描かれている。

この光景を見ながらつくづく思うのは、この地は日本国内で最もインターナショナルな場所ということだ。この場合のインターナショナルとは外国人が多く歩いているという意味ではなく、無国籍というニュアンスである。
人類史上まだ成し遂げられていない(そして残念ながら当面は成し遂げられそうにない)恒久平和というものを街ぐるみで大真面目に考え続けている(公金を投じ続けている)事例は世界を見回してもそう多くない。この論を進めていくと行き着く先は究極の「そもそも論」であり、そこに国家・民族・宗教などという要素は何ら意味を持たない。この思想を現実の空間に焼き付けて後世に残す大役を担ったのが丹下健三だ。彼は平和記念資料館をどの国のものでもない人類普遍の建築様式とすることにこだわり、ル・コルビュジェの造形にそのヒントを求めた。
「国籍・民族・宗教・性別は不問。うちの思想に賛同する人寄っといで」 という姿勢は、外国人にとって取っつきやすい(決して悪い意味で言ってるのではない)わけで、かくしてHIROSHIMAの知名度は世界的に極めて高く、広島をテーマにしたアート作品が世界中で生まれることになる。

インターナショナリズムの表現

#2:夜景

前置きが長くなってしまったが、このアート作品もそういった文脈の中の一つだと思う。ゲートという万国共通の形の中に、「平和」という文言を18の文字と49の言語で記している。ゲートの間隔は丹下へのリスペクトを表して平和記念資料館のスパンに合わせ、ゲートの数はダンテの「神曲」に出てくる9の地獄に被爆を加えて10基としたのだという。ダンテの「神曲」が人類共通の古典であるかはともかく、インターナショナリズムの表現方法として大きく外してはいないと感じた。
一つ気になったのは、こういったアートではメッセージ発信にはなっても慰霊にはならないのではないかという点だ。フランス人グラフィックデザイナーであるアルテール氏が仮に日本語の「平和」という文字を読むことができないなら、文字をテキスト情報ではなく画像情報として認識することになる。絵としてのバランスを見ながら納められたアートワークが、それを絵ではなく言葉として数十年唱え続けてきた広島の当事者の心に届くかと言われると、私は否だと思う。だが実体験を持つ当事者の数がゼロになる日は間違いなくやってくる。批判を恐れずに書くと、当事者ではない世代に思想を伝承するには慰霊碑の類だけではやはり力不足で、こういったアートの力(や音楽の力)も借りるべきではないだろうか。

パリの兄弟作品

#3:パリにある「平和の壁」

パリのエッフェル塔の近くに同一作家による兄弟作品があるということで、見に行ってきた(撮影2012年9月)。こちらは「平和の壁」といい、平和との文字が多数の文字と言語でガラスにプリントされている。しかし、こちらは日本人ほどお行儀が良くないらしく、ガラスは割られていたりヒビが入っていたりする。逆に平和のもろさの表現になってしまっているのは実に皮肉に思えた。