ダイクレ呉第二工場/旧呉海軍造兵部第九工場

不詳 1903

現存する旧呉海軍工廠の建屋のうち、最も大きく状態も良いのが本作。米軍による呉空襲では造船所は残しつつも兵器工場は徹底的に破壊しているため、本作は造兵部の施設においてファサードが現存する貴重な事例でもあり、かつての海軍工廠の威容を感じさせる貴重な生き証人といえる。
まだ建築に装飾性が求められた時代らしく、軍需工場ながらファサードはレンガと御影石で彩られている。設計者は不詳であるが、わざわざ民間の設計事務所に発注するとも思えないので、呉鎮守府建築科とそのトップである桜井小太郎の関与が濃厚と思われる。
戦後は旧海軍工廠の技術者が創業したグレーチング工場となり現在に至っている。グレーチングという製品自体が元々は軍艦の部品であり、海軍とのつながりを感じさせる。