耕三寺潮聲閣

不詳 1929

#1:道路側から見る

#2:仏間。絵入りの格天井が美しい。

耕三寺博物館の敷地内に残る、昭和初期の邸宅建築。かつては数多くあったはずの木造邸宅の名品は戦災や老朽化でほとんどが姿を消し、県内では本作を含めて数棟が残るのみである。もちろん島嶼部では唯一無二の存在だ。
潮聲閣は、福岡県直方(のおがた)出身の実業家金本福松(1891-1970)が、余生を送る母親のために、母の故郷である瀬戸田に建てたものである。金本は母の死後に出家して耕三寺耕三と称し、潮聲閣の周辺に耕三寺を建立した。つまり、耕三寺の敷地内に残る中では本作が最も古いということになる。(本作も耕三寺建立時に改造されている)
配置計画を見ると、洋館(応接室など)と書院造の和館(生活の場)が前面道路に平行に並んでおり、同時期の邸宅としては一般的なスタイル。見学は和館裏側の勝手口から入る(写真#14)ので、唐破風が付いた正面玄関は室内側からしか鑑賞できないが、屋外だというのに天井は折上格天井(しかも絵入り)というのに驚かされる。(写真#4)。 諸室のグレード設定も興味深い。日本家屋は伝統的に応接を最重視するが、本作では和館の応接室よりも居室(老人室と称す)の方が明らかに上で、「母親のための家」ということがよく分かる。この老人室は用材・装飾ともに最上級グレードで、折上格天井にはめ込まれた絵は一流の絵師によるものとされ、まさに贅を尽くした空間となっている。洋館の応接室は中国清朝期の調度品で整えられ、床は寄木のフローリング(写真#10)。浴室の丸いステンドグラスも素晴らしい。(写真#13)
耕三寺のコピー建築群はツッコミどころ満載で、建築作品としての評価は分かれるが、この潮聲閣は間違いなく名品だ。しまなみ海道を訪問するときには外せないスポットといえる。